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血のつながりを考える夏

日程的には送り盆も過ぎてしまった18日、妹夫婦と、実家の父方のお墓参りに行ってきた。今日ほど行って良かったと感じるお墓参りはなかった。きっと、おばあちゃんが、この日にお参りに来るように、天国から、何もかもセッティングしてくれたんだ。

そのお墓には、新しくおじさんが入った。父の弟。コロナの中、病院ではなく家族のそばで亡くなったおじさん。その時のおじさんの様子を、おばさんは話してくれた。家族に「ありがとう」と言って亡くなったらしい。生前、優しい紳士だったおじさんらしい。この話と、帰りの車で聞いた、妹が大好きな misia の『さよならも言わないで』がシンクロ。コロナの中で家族に会えないまま亡くなった人たちも多かった中、おじさんはちゃんと家族にお別れを言ってなくなったんだ。

「すぐ帰るから」と言ったのに、お墓参りを終えた私たちに「涼んでいきなよ」と案内された部屋には、たくさんのごちそうが用意してあった。気を遣わないようにと、突然訪ねる予定が、直前で、留守だと困るよねということで、1本電話を入れたのだけど、その電話の後、色々支度をしたのだろう。かえって気を遣わせてしまったね、お返しはどうしようかねと、妹と話した。けれど、もし逆の立場だったら、姪っ子がたちが久しぶりに遊びに来たら、私もきっと色々振舞うだろうし、お返しなんてとんでもないって思うだろう。だからこんな風にして受けた恩は、順送りすればいいのかもしれない。

食事の途中、そのおじさんおばさんの子供、つまり、私たちのいとこに当たる人から電話がかかってきた。本当に偶然だ。けれど、これもきっと、亡くなったおじさんが、天国からセッティングしてくれたサプライズかもしれないね。

最近、ちょっと揉めていた妹とも、行きかえりの長い道中、いろいろな話ができてよかった。

私は長男の長女、いわゆるこの家の初孫だったので、相当可愛がられた。特に私にとって祖母、私のおばあちゃんは、いつもいつも無条件で私を応援してくれた。今まで60年近く生きてきて、辛いことがあった時に、おばあちゃんがそっとそばにいてくれるような気がしたものだ。いつも「ゆかちゃんは頑張ってるよ」と言ってくれたおばあちゃんの声が、そばで聞こえるような気がして、いつもいつも勇気付けられていた。
けれど、一緒に行った妹は、おばあちゃんは厳しかったという印象しかないらしい。「僻んでるわけじゃないけどね」と笑っていたけど、姉妹でこんなに印象が違うのかと、大人になってから気がついた。
おばあちゃんがどんな人だったかということは、こんなに大人になるまでにも、何回も思い出したはずだから、色々なところに影響しているに違いない。
もちろん、妹とは、人生が違うし、就いている仕事も違うし、住んでる場所も違うし、結婚した相手も違う。どんどん違うことが重なり、違う人間になっていってしまうだろう。
それでも、血のつながりってどこかでがっちりあるなと思ったし、忘れそうになった時は、今日みたいに、ご先祖様たちが思い出させてくれるのかもしれない。
それに、例えば、今日のおばちゃんは、私たち姉妹にとっては、血の繋がってない人。お嫁さんだからね。けれども、こうして親切にしてもらうこともあって、やっぱり、そういう家族の「縁」ってすごいなと思った残暑の1日でした。

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