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「努力は裏切らない」は事実か

頑張っても、なかなか成果が出ないこと、結構多くありませんか。私もそんなことばっかりです。そういう時「努力は裏切らない」っていう言葉が嘘くさく聞こえるんですけど、ちょっとその言葉の意味を見誤っていたなと考えたので、忘れないように書き留めときます。

例えば私は韓国のアイドルサバイバルオーディション番組、いわゆるサバ番が大好きなんですが、本当に寝る間を惜しんで練習している子が、努力を認められてデビューしたり、練習をサボってルームメイトと遊んでばかりいる子が、脱落したりすると「努力は裏切らない」って本当にあるんだなって思うんですけど、いざ自分のことになると、それはやっぱり当てはまらないなって思うんですよ。

例えばギター。私は20歳の時にギターを始めたんですけど、なんかセンスがないっていうか、パッと弾けないっていうか、そう思うことがとても多くて。たとえば「そうじゃなくてこうだよ」って言われたときに、何を言われているのかは分かるんだけど、すぐに直せない。

で、私は20歳までは3歳からピアノを習っていたんですけど、ピアノの方が自分の感情と鍵盤の連結感が結構強くて、こう弾けばこういう感じになるっていうのが分かるんだけど、ギターは後から習った楽器のせいなのか、そこら辺の感覚がつかめなくて。いつもダサいフレーズしか思い浮かばないし、ああセンスがないんだなって、もう本当めちゃくちゃ落ち込みます。

音楽に関して、唯一、私の武器といえば「絶対音感」。例えば、曲を聞いた時に、階名が取れるんですね。それはもう、他のギタリストが羨ましがる能力なんですけど、私は音が取れるのと、それが弾けるのとだったら、むしろ弾ける方の能力の方が欲しいんですけど(笑)
でも、その私に授かったその能力を駆使して、練習するわけですよ。聞き取った音をカタカナで全部書いて…というか、音はカタカナで聞こえるんですが、まあそれを、半分ぐらいの速度に落として、カタカナで聞こえたものを地味に練習するんです。だんだん速度上げてくんですけど、やっぱりノーマルの速度では弾けないんですね。弾けたとしても、ニュアンスが違う。なんかこう、やっぱりセンスの域に入ると、私はやっぱりダメだなって思ってしまうんですよ。

ところがそういう地味な練習を続けていると、ある時突然「あれ?弾けた!」ってなる時があるんですね。え?まだそのフレーズやってたの?ってくらいの日数、なんなら月日が経ってしまっているんですが。そういう時に「『努力は裏切らない』ってこういうことだ!」って感じます。

でもやっぱり、部分的にできても、トータルの結果はあまり変わらなくて、私は相変わらずセンスの悪いギタリストで。じゃあ、努力は報われなかったのか?と考えた時に「はっ!」って気がついたんですよ。

自分の中では、自分が授かったスキルを使って、自分の苦手を克服する方法を自力で編み出したってことじゃないですか。それがギターはもちろん、他のところ、例えば仕事とか対人関係とかにちょっと生きる。だから、努力したことって、練習していたところが弾けるようになるとか、そういうダイレクトな結果だけをもたらすのじゃなくて、何らかの形で、自分の中に積み上がって行ってるので、ふとした時に別の場面でひょっこり表に出てくる感じ。

そしてその経験は、他ならぬ自分だけの経験なので、他人に侵食されないんですね。いくら結果を見て他人が「センスがないね」って言っても、それはその人からの評価や、他のギタリストと比べての評価。

私の中では、努力したことが紙一枚の薄さであっても、確実に1枚ずつ積み上がってる感じなんです。たとえ他の人が10分でできることを、3日かかったとしても、私の中ではちゃんと1枚ずつ積み上がってるんですね。減っちゃいないんです。

それがストンと自分の中で理解できた時に「努力って本当に裏切らない」っていう言葉の本当の意味、真実に行き着きました。

努力のことを誤解して、裏切っていたのは、私の方だったのかも。

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