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しんどかった話は、感動する話になる

しんどい、しんどい。しんどいことってあるよね。
毎日毎日、寝ても覚めてもそのことばかり考えてしまうこと。
耐えて、工夫して、乗り越えて、でもまた元に戻って。
そうして、乗り越えたか、対象物が消えたか変化したか、何かのきっかけで、それが「しんどい」から「しんどかった」と過去になる時、人は成長している。心理学では、これを「心的外傷後の成長」という。読んで字のごとく、心が傷ついた後は成長するということ。

そうは言っても、しんどい最中の人に「それを乗り越えたら成長するんだって」とは言えない。でも、そんな時に、このように表現したら少し心が楽になるかもという、素敵な言葉を教えてもらった。しかも教え子から。

しんどかった話は、感動する話になる

私の生徒が教えてくれた、韓国のエッセイの和訳。その生徒は、韓国の詩人で、エッセイストのクルベウ(글배우、Geul Bae-woo)氏の詩集を買ったそうで「どんなエッセイが載っているの? 好きな文はある?」と聞いたら「例えば……」と紹介してくれたのが上の一文。ちなみにこの生徒は、韓国語の原書で読んでいるので、上の文は彼女の和訳だ。韓国エンタメに興味があって、独学で韓国語を勉強して1年でこの和訳。これもすごい話だよねえ。
私はつくづく、年下であっても、学ぶことって本当に多いと思う。子どもたちは子どもたちで悩んでいて、それを上から目線でアドバイスするのではなく、共感することも大切。そして悩み抜いたあと得たものは、年齢に関係なく尊いのだ。

介護が始まったとたん、介護で苦労した友達の話が尊い

当事者になると、今まで巷にあふれていた一般的な話が、急に温度のある話になる。解像度が上がる。意識していることほど関係する情報が自分のところに舞い込んでくるようになる「カラーバス効果」だ。

それはよくある。注意が向くだけじゃない。当事者になることで、今度は同じ立場の人、また逆の立場の人にさえ、共感できるようになる。

遠距離介護の人の考えも良く目にするようになった。その中でも特に言い訳めいた言葉が目につく。これは、今までの私の心の代弁だ。
でも特に目にするようになったのは、お嫁さんなどの立場の介護者の話、自分だけが親の近くに単身でいるために介護者になった人の話など。

今までも私の周囲にはいたし、知ってはいたけど、自分ごととして、話が体に入って来なかった。つまり話は聞いていたけど、心から共感してなかったってことだ。あの時はごめんなさい。

彼女達の「しんどかった話」が、今、私にとって「感動する話」に「尊い話」になっている。ありがたい。

クルベウさん、日本語でも本があるみたいなので、紹介しますね。


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