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おまえの親がどうであろうと、おまえはもう自分の性格くらい自覚して直す努力の出来る歳だな!

フランクリン・コヴィー氏の『7つの習慣』には「影響の輪」と「関心の輪」という話が出てくる。「影響の輪」というのは、自分が影響を及ぼすことができる、つまり自分で変えられるものの範囲のこと。「関心の輪」というのは、自分が影響を及ぼすことができない、つまり自分では変えられないものの範囲のこと。

自分では影響を及ぼすことができないものの代表として「天気」がある。例えば、明日は楽しみにしていた旅行の日だというのに、天気予報は雨。がっかりだよね。あれもできなくなった、これもできなくなったと、ずーっと考えてしまう。天気は変えられないのにね。
でも、例えばプランを変えるとか、雨具を持っていくとか、何なら旅行を取りやめるとか、そういうことはできる。これが自分の「影響の輪」の範囲内にある行動だ。

天気はとても分かりやすいけれども、変えられないものの代表として「過去」と「他人」がある。

「過去」はどうしても変えられない。だから、過去の出来事を悔やむのはナンセンスだということだ。もちろん人間にとって、後悔という感情はとても大事で、それによって今後は気をつけようと思ったり、次回は工夫しようと思ったり、そういうことができる。でもそれを打ち立てたら、もう後悔は不要だ。

人間の脳って想像力がたくましくって、例えば実際には目の前にないのに、食べ物の話をしただけで唾が出てきたり、大好きな人のことを考えただけでドキドキしたり、想像力がそのまま体に影響を及ぼしてしまうことが多々ある。悪いこともそうだ。何回も何回もつらかったこと、悲しかったことを反芻すると、気分が落ち込むだけでなく、実際に心臓にも肺にも悪いそう。

「他人」もそうだ。他人は変えられない。どんなにしかり飛ばして叩きのめして、言うことを聞かせても、その結果行動を変えられたと思っていても、そんなことは全くない。そのように、力づく、または、穏やかな言葉であっても、相手を変えようと思うエネルギーは相手には影響しない。「他人」は絶対に変えられないのだ。

そんな話が『7つの習慣』にのっているが、私はこの「過去」と「他人」の最たるものが、親子関係だと思っている。私の人格は両親から多大な影響を受けたし、暮らした家、環境全て私にの性格に影響を与えているとは思う。それはその影響を私が選択した結果だ。しかも、それらは全て過去の話。

だから、いい年をして、いつまでも自分の不幸を、親のせいにしたり、生まれた環境のせいにしたりしている人を見ると、ちょっとイライラしてしまう。でも、私がイライラしてもやっぱり仕方がない。なぜならその人は他人だからだ。

でもそういう人に限って「私の今の不幸は親のせいなのよ」「育った環境のせいなのよ」と訴えてくるような気がする。なぜ私にそんなこと言うんだろう。どうして欲しいんだろう。あなたの過去も、あなたの生い立ちも、それらからのあなたへの影響も、私には変えられないのに。

漫画『はみだしっ子』のワンシーンを思い出す。親に捨てられた12歳の子どもに向かって、養父がこういう。

おまえの親がどうであろうと、おまえはもう自分の性格くらい自覚して直す 努力の出来る歳だな!

12歳でも、直せる年なんだよ(笑)過去は変えられない。でも、自分の性格はみごとに「影響力の輪」の中にある。


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