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真実は、いつも…ふたつ!

明らかな間違いでも、その人にとっては真実だ。

家族に認知症の人がいる場合は、そのように感じてる人、多いんじゃないかな。例えば認知症の中核症状、見当識障害のある父は、まず時間が分からなくなって、次に場所が分からなくなった。

時間が分からなくなると、今、何月なのかということや、今はどの季節なのかも分わからなくなる。私たちが「今日って何曜日だっけ?」となるのとは全然違う。例えば通い始めてまだ5ヶ月しか経っていないデイサービスを、もう10年以上通っていると認識しているし、季節が分からないから暖かくなっても冬みたいな格好して、寒いとさえ感じるらしい。

場所が分からなくなると、もっと不思議なことが起こる。例えばデイサービスのトイレの便座は白いのだけど、自宅のトイレの便座はクッションのカバーがあって濃いピンク色だ。でも父は、場所を認識できないので「便座が白くなったり、ピンクになったりする」と言い張る。「お前の時は、何色だった?」と聞く。

以前の私は「うちはピンクだよ。あのカバーは私が買ってきたんだよ。デイサービスのトイレの便座はカバーがなくて白いから、そこと間違えてるんじゃないかな」と、ものすごい理詰めで説明していた。だってそうなんだもの!って感じ。父は「違うんだよ」と言っていて、私はそれがいやだった。

たとえそれが明らかな間違いであったとしても「座るたびに色の変わる便座」というのは、父の中ではまぎれもない「真実」なのだ。それを否定してしまっては、父の認知そのものを否定することになる。父の中の「基準」のようなものまで、グラグラしてしまうのだ。結果、父の中の「真実」全部を否定することになるのだ。

デイサービスのトイレの便座は白、自宅の便座の色はピンク。これは私の「真実」であり、トイレに行くたびに便座の色が変わるというのは、父にとっての「真実」なのだ。

こんな話を書くと、思い出すTEDがある。

あるゲストハウスに住み始めた時に、嫌な音もするし、どんどん具合も悪くなった。それは幽霊の仕業だと思っていた彼女は、その手の話を科学で解決する集団と知り合い、原因を突き止めた。原因はなんと一酸化炭素。ボイラーが不完全燃焼を起こしており、一酸化炭素が部屋中に充満して、あと1日解明が遅れたら死ぬところだったそうだ。

その時に彼女が感じたのは、主観的な真実に対する、科学なアプローチの仕方だった。例えば「幽霊なんて嘘」と言われた瞬間に、その会話を断わり、本当に死んでいたのかもしれなかった彼女は、真実には主観的真実と客観的真実の二つがあって、それは両方とも真実であり、科学はアプローチの仕方によって正義となることも悪となることもあると話をしている。

人に客観的な真実だと考えている事柄を共有されたら、皆さんにも同じ姿勢を取ってほしいのです。疑わしい主張について話すときには、敬意を持って いい質問をしてください。一緒に実証できないか、考えてみるのです。

TEDより

相手が子供だと、不思議な話をしてきた時に「そうだね。不思議だね。なんでだろうね」と言える大人が、認知症の老人相手だと「何を言ってるの!そんなわけはないでしょう?」と怒ってしまう。

私も最初はそうだった。それは、父にこれ以上変なことを言わないでほしいという希望があったからかもしれない。しかし、認知症は進行が緩やかになることはあっても治ることはないので、どこかで私も覚悟を決めたのだろう。

実家に帰るたびに、トイレの不思議を話す父に「本当だね。不思議だね。さっき私が入った時はピンクだったよ」などと話を合わせてみていた。

ある朝、父がデイサービスに出かけた後、父の部屋のテーブルにメモ書きを発見した。

「〇月〇日〇時〇分『赤』」「〇月〇日〇時〇分『赤』」

最初は何のことか分からなかったけど、これが便座の色のことを表しているのだと気がついた。家でのことなので、赤(ピンク)に決まっている。それでも父はなんとか法則を見つけようと、一生懸命にメモをしていたのだ。デイサービスに行かない日、ヘルパーさんが来る時間に、歩けない父はトイレに連れて行ってもらう。そのあと父は毎回メモを取っていたのだ。

実に、理屈っぽい父らしいメモだった。そして、父は頑張っていた。

このメモを、肌身離さず持って、デイサービスでも記録をつけられたら、父は自力で法則を発見するかもしれない。でもその法則は「デイサービスは白、自宅はピンク」という私の理屈とは違う。場所の見当識障害だから、場所と色は結び付かないはずだ。

父なりの法則が見つかると思う。例えば、デイサービスを休む木曜日以外は便座は白、デイサービスを休むと便座は赤に変わる。そんな真実かもしれない。そしてその真実は、私の真実と全く同じなのだ。

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