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そうか。私は過去に片をつけていないんだ

片付けとは片をつけること。

思い出の品が捨てられないのは、過去に片を付けていないこと。その結果、それにまつわる今を楽しんでいない。

私のちらかった部屋を占領する物のほとんどは、過去の私と紐付いているものばかりだ。何十年もおっかけをしている大好きなバンドのアーティストグッズ、昔のバンドのVHSテープ、今は成人した息子が小さいときにかいた絵や作文、読み終えた本、聴き終えたCD、着なくなった服、使わなくなった鞄等々……。

色々な断捨離本を読んで、後半二つの「服」と「鞄」は相当減らした。が、思い出の品が結構捨てられない。捨てるのに意志の力が必要で、鼻をかんだあとのティッシュのようにはごみ箱に持って行けない。世の中に出回っている本には、そういうものはデジタル化して捨てろとある。私もそう思うし、そうしようと思う。

例えば、VHSはDVDにすればいいよね!その方がいざという時活用できる。活用するのかはなぞだけど。
……と、ここで手が止まる。そもそも今も見返していないVHSをわざわざデジタル化して見返すようになるのか?

例えば、子どもの作品。立体作品については、さすがに場所を取るので、写真を撮り、実物は処分してあるが、その写真を、撮影した時以降見ていないよ。処分できずに残っている紙ベースのものも、デジタル化しても見ないだろう。

最近、日本で初めての片付け師、小松易さんの本をオーディブルで聴いていて、この言葉が心にずっと残っている。


片付けとは片をつけること。


そうか。私は片付けられないんじゃなくて、過去に片をつけられない女なんだ。何気なくふと「女」を付け足してみたが、実にいやらしい感じになってきた(笑)

過去のバンドの映像は「思い出」以外の何物でもないし、保管していて価値が高まるものでもない。私が万が一、将来超有名なミュージシャンになったとしても、若い頃の動画はむしろ隠蔽したい(笑)

環境にも悪い。これらのものは、実物なら処分する時にCO2を排出するし、デジタルで保管していても、クラウドにも電気がかかっていてCO2を排出している。どちらにしても決断を先送りしてはいけない。例えば今日、私が死んだら、思い出の品こそ、メルカリで売れもしない完全に「ごみ」だ。ごみになる前に自分の力で片を付けないといけない。

過去に片を付けるのには意志力が必要だ。だから先延ばしにしてはいけない。歳を取ってからでは無理なんだ。今、過去のものに片を付けて、身軽になったら、今日を、明日を軽快に生きていける女になるのかも。

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