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父が認知症になったことを母は「神様からの罰」だと思っていた

父が認知症になって、私も生まれて初めて介護をし始め、育児以来の人生の勉強をしている気がする。介護をするたびに、学ぶことばかりで「介護は最後の子育て」とは本当によく言ったものだと思っている。

また、私は親子関係の清算のようなものを、今、している気になっているけど、母は母で、夫婦としての集大成というか、そういうことを日々感じているようだ。

でもそれがつらすぎて、母はそのつらさを「罰(ばつ)」だと言っていた。
うまく言葉にできなくて、しんどい時には泣きたくなって、私たち子供らにちょっと八つ当たりをしたりすることもあって。

そうして私たち姉妹と母は、チームのようになっていった。なんだか本当の意味で初めて家族になったような、そんな感じがしている。

母はもう本当に父に頼って生きてきた人で、それは力の面でも、収入の面でも、そういう時代の、昭和の女性、昭和のお母さんの生き方だった。だからすごく弱い人だと思っていたけれど、よくよく考えると父が海外に赴任してる間、女手1つで娘2人をの子育てをしていたわけで、思っているほど弱い人ではないのかもしれない。

が、やはり「お父さんに聞いてから」「お父さんが良いって言ったら」という典型的な昭和の女性だったので、今、逆に父に頼られるような存在になっていて、母がしっかりしないと父が生きていけない状況になってしまっていて、そんな中、夫婦として帳尻合わせのようなことをしていると感じる。

人生の終盤になって認知症になるのは、こんな意味があるのかもしれないと思う。まあ今は特に大きな問題もなく過ごせているので、こんな風に思えるのだけど。また新たな問題が起きると、また3人で悩むんだろうな。

それでも私たちは確実に前より個人個人が強くなっていて、しかも3人の団結力も強くなっていて、がっちりチームのようになっているので、一緒になって頑張ってやっていけそうな気がする。

写真は母の友人が母の話を聞いてつぶやいた言葉。この人も介護の経験がある。どこから引っ張ってきたでもない、自分の経験から引っ張り出した素敵な言葉は、母の心を強く打ったようで「忘れないように書き留めて欲しい」と妹に懇願し、妹が書いたもの。

父が認知症になったことを母は「これは罰だ」と言っていた

母は、今まで何もしてこなかった罰だという言い方をしていた。認知症は私への罰だと。神様からの罰だと思っていたふしがある。親族の介護をしてこなかった自分への罰だと。ところがこの人は、それを「宝物」と言った。どんなに母が安堵したことか。この言葉はとても尊い。神々しい。

母と私の立場は違うから、また私に響く言葉は、もう少し違うものなのかもしれないけど、母の心に触れた言葉として、私もこの言葉を大事にしようと思ったし、私も、介護を頑張っている友人たちに、響く言葉を自分の経験から引っ張り出したい。

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