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募金箱を目にしたら千円入れる:マイルール

電車の中で自分が座っている時、少し離れたところにお年寄りの方を見つけた場合、立って行って声をかけて席を譲るって、結構勇気がいりますよね。あと、町で募金活動をしている人たちを見かけた時にも、募金をするかどうか悩み、頭の中で今日のお財布と相談したり、うかつに通り過ぎてしまった場合、元に戻るのって変だよね?と自問自答したり……。本当に大変。

本当に大変なのは、お年寄りの方、募金活動している側なのにね。

人間、そういうものを見かけてしまうと、ついつい、言い訳する方にエネルギーを使ってしまいがち。
せっかく席を譲ったのに「年寄り扱いするな」って言われるかもしれない(言われたことはないけど)「次の駅で降りるから大丈夫です」って言われるかもしれない(これは言われたことがある)そもそも、私の声、聞こえなかったらどうしよう……などなど。
募金の場合なら「今月ピンチなんだよな~」とか(本当のピンチはアタシじゃなくて募金している方)「私一人が寄付をしても……」とか「こんな少額の寄付は恥ずかしいんじゃ」とか「あの団体にはいくら寄付したから、この団体はいくらにすればいいのか」とか。「そんなことを考えている間に、もうすでに少し通り過ぎてしまったから今日はやめよう」とか……。

そのくせ、やっぱりあの時、席を譲れば良かったなぁとか、やっぱりあの時、少しでも寄付をすればよかったなぁとか、思うんですよね。
その場での葛藤、のちに来る後悔。ほんと、しばらくの間、心を占めてしまいます。

2011年の東日本大震災の後、私はルールをひとつ決めたんですね。「1日の最後に、財布にある小銭を(それがいくらだろうが)コンビニの募金箱に入れる」というルールです。一番少ない日で1円ですね。一番多い日で999円ですが、そういう日はありませんでした。まあ平均して300円ぐらいになります。コンビニに行かない日もあるので、だいたい月5,000円ぐらいでしょうか。考えてみると、東北のあの悲惨な状況に、何の足しになるのかというぐらい少額なんですが、私はこの行為のおかげで、自分の寄付に対する迷いがなくなりました。

同時期に、電車やバスの席の事についてもルールを決めました。座らないんです(笑)
座ってしまうから、立つかどうか悩むんです。だから座らないんです。
もし、電車が空いていて座った時、だんだん混んできて、そういう状況になった場合は、お年寄りを見かけたら2秒以内に立つと決めています。2秒以上経つと、脳内で言い訳が始まるからです。脊髄反射レベルで立つ
そして、私はその時「どうぞ」とも言いません。その人と会話を始めるからおかしなことになるんです。黙って立つ。それだけ。その席がどうなったかも確認しません。でも降りる時にチラッと見ると、たいてい、その席には譲ろうと思った方が座れています。周囲の人も、人が乗ってきてから私が急に立ち上がった訳が分かるんでしょうね。最近ではこの確認もしなくなりました。どうでもいいことですよ。そういうもんなんだ……と分かったらもう確認も不要ですよね。

今は、スマホ決済が主流になってしまい、小銭が財布の中にあるということがなくなってしまいました。だから新しいルールを決めたんです。
街角に募金箱を持って立っている人がいたら、何も考えずに千円そこに入れる。
これで、私が悩んでいた団体による寄付金の差なんかもなくなります(笑)
千円という額も自分で決めました。キャッシュレス時代でも、大抵財布にある金額だしね。千円って多いんじゃない?って感じる人もいると思いますが、私にとって千円はビール2杯分なんです。(もうお酒やめたんですけど)私がビールを2杯我慢するだけ。栄養にもならず体外に排出されるだけ(笑)の千円が、もっともっと有効な事に使われる。千円だって喜んでるはずです。

電車に乗ったら座らない。もし座っている時にお年寄りの方が乗ってきたら脊髄反射で立つ。
募金箱を見つけたら、千円を用意してそこに入れる。

この二つのルールを決めたことで、私の脳内の葛藤が0になりました。そうしたら初めて、本当の心の使い方わかった次第です。悩むのはそこじゃないでしょう?
電車内でお年寄りに席を譲らないで座っている若者はなぜ朝からあんなに疲れているのか。何か私にできないか。
集められた募金の先にある社会問題。これらの問題を解決するにはどうしたらいいのか。
大人は、そっちに頭を使わないと。


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