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私なんて……を禁句にしよう。自己肯定感を下げる「謙遜」の呪い

いつも綺麗にしていて、羨ましい。私なんて……
彼は仕事ができる人だよね。私なんて……
好きなことに打ち込んでいてかっこいい。私なんて……

もちろん、社会的な儀礼として、必要な潤滑剤だと考える人もいますが、私はあまりそう思わないんですね。何時代の話だよ?って思います。

そもそも相手が素敵なら、素敵といえば済む話で、「私なんて……」というセクションは不要なのです。その時に自分を下げる必要はないんです。相手は絶対的に素敵なんですから。

言われた方も困ります。比較した結果、素敵だと言うのは、努力や才能が認められたのでもなんでもなく、相手が勝手にへりくだっているだけですからね。

例えば「字が上手くて羨ましい」と思ったら、「字が素敵ですね」と言えばいいんです。それだけです。付け足すとしたら「見ているだけで気分が良くなります」とか「手書きの字が素敵だと、デジタル化社会でも、かえって有利だと思うんですよね」とか、素敵だと思うことについて語り始めればいいんですよ。それを「私なんて……」という枕詞で始めてしまうと、おかしなことになります。

相手が困ります

まず、先ほど話した通り、話し手が勝手にへりくだっているだけので、言われた相手は、困ります。

字が上手くて羨ましい。私なんて、下手過ぎて、まるでミミズがのたくったような字。恥ずかしくて人に見せられないよ。

「ありがとう」という言葉で返せません(笑)
相手の字を見たことがない場合は「そんなことないよ」とも切り返せません。また、努力してそうなった人、例えば、字が下手で、字を習って上達した場合は、「私はミミズがのたくったような字」と言われても、正直「あなたはそこで止まっているからよ」とも言えません。もちろん、そんな意地悪なことを考える人は多くないとは思いますが、クールに見れば、この場合の文字の綺麗さの差って、自分の努力と、その人の努力不足の差とも取れますよね。

自己肯定感も下がります

また、このような言葉は、自分を貶めてしまいます。言霊とも言いますが、言葉には魂が入っているので、聞いてる自分は、まるで第三者が言ったように感じるらしいです。
「言語化」というものは、さらに恐ろしくて、今まで、ぼんやりと、なんとなく思ってたことを、がっちり言葉に直してしまうと、それが記憶に残りやすくなってしまいます。
特に、子どもの前で子どもを卑下する、取引先の前で自分の部下を卑下する。これは最悪です。自分の自己肯定感だけでなく、子どもや部下の肯定感も下げます。言った方は覚えていなくても言われた方は覚えているし、自分はそういう人間なのだと決めつけてしまいます。

さらに、こういうことが「癖」になっていると、日々、誰かの何かを褒めるたびに、自分のできなさを引き合いに出す「習慣」がついてしまいます。こなるともう、習慣を越え「思考」がそのようになっているので、自己肯定感なんて落ちまくります。

私なんて……を禁句にしよう

そもそも相手が素敵なら、素敵といえば済む話。
「私なんて……」というセクションは不要。禁句にしましょう。
わざわざ自分を下げる必要はないんです。

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