荒涼

荒涼ーたる<連体>ーと<副>荒れはててさびしいようす。

私の制作しているzine Pursuitのvol.2でアメリカ人アーティストのアーロン・ロスをインタビューした時、彼の作品に対する印象についてこんなことを私は発言している。

「・・・私は、花が枯れる光景を目にした時の方がより生命の存在を感じられるんだよね。季節でいうと、植物が芽吹いて咲き乱れる春夏よりかは、何かが枯れていく秋冬の景色の方が強く生を感じるというか。アーロンの作品から私が感じることは、それに近い部分はあるかなと思っていて。」(気になる方はこちらより)

いつからか、私は明るく楽しい雰囲気をもつものよりも、どこかウラ寂しいものに惹かれるようになった。その傾向は、思い返してみると小学生の頃にはすでに始まっていたと思う。昔から周囲の誰からも私は、明るくて元気な性格に思われるし、それも確かに正しいのだとは思うのだが、自分が心から落ち着くのはそのほとんど真反対に位置する、どこか根暗な自分だったりする。とはいえ別に根が暗いというわけではないと思うのだが、それでも内面は決して明るいタイプではないと自分では思っている。人からそういう風に見られないのは、私が人前に出るとどこかの部分で外向けにつくってしまっているからかもしれないと思うこともあるが、そんなことは恐らく人間誰しも程度こそ違えどやっていることだろうし、何にせよ明るい人だと思われているのは悪いことではない(その微妙なズレが自分と他人とを最終的に隔ててしまっていると感じることは、残念ながら多いけれど)。

「荒凉」という言葉をきいて、思い出すことがある。

数年前、アメリカのポートランドに旅行に行った。
その頃ちょうどカナダ・トロントに住んでいた私は仕事の休みを利用し、過去に一度だけ訪れたことがありアメリカの中でも特にお気に入りだったポートランドを再訪することにしたのだが、その時の第一目的はそこに住む知り合いに会うことだった。その知り合いとは、私が人生で初めて付き合った人だった。
16歳から17歳の初め頃まで付き合っており、別れて以降長い間お互いのことを全く知らずに生活していたのだが、ある悲しい出来事をきっかけに再び連絡をとるようになった私たちは、約12年ぶりの再会を果たすこととなった。感傷的に聞こえるかもしれないが、久しぶりに会ってみると古い友人と同じく、全てが昨日のことのかのように懐かしく、近く、明るかった。付き合っていた頃はどれだけ彼が英語で話しかけてきても無視していたが、私もその頃には英語がある程度話せるようになっていたので、ごくごく自然に日本語と英語を混ぜる形で話し始めた。不思議と、日本語だけで話していた昔よりも、言語の力を利用することで、より深くお互いに伝えたいことを伝えられるような気がした。それ故に、お互いのことを深く理解しあえている感覚があった。地元宮崎以外の場所で会ったことなどもちろんないのに、何もかもが当たり前のように自然に受け入れられたのは、会っていない時間を超越して、私たちがそれだけ近い人間同士だったということだろう。
付き合っていた当時を振り返りながら、まるでテストの解答をするかのように、恥も嫌悪感もなく、思い出を語り合った。話をしてみると、思い出がいろいろズレていたり、思ったよりも同じように感じていたり、話してみないとわからないことだらけだった。あの当時これができていたらどうなっていたのかと、その考えはふと頭を過ったが、それでもおそらく結果は同じになっていただろうと、すぐに考え直した。
今それぞれがこの社会に感じていることだったり、それぞれがこの12年間どんな経験を通ってきたのかという、現在の話もたくさんした。驚いたのは、どれだけ長い間があいていても、ふたりがこの世界で見ている方向のようなものは、ほとんど全くといってよいほどに同じだったことだった。それは彼も感じていたと思う。この世にソウルメイトは何人かいるというが、彼もたぶんその一人なのだろうなと、変わらないように見えてもしっかりと大人になった彼を見ながら感じていた。私たちはもう恋人ではないけれど、世界のどこかで同じ方向を向いている誰かがいるというのは、心強いことでもある。

「荒涼」という言葉をみてすぐに思い出したのが、彼とポートランドから車でティラムックという海岸沿いの町にドライブした時に通った、すっかりと枯れてウラ寂しい見た目になってしまった木々の並んでいる森を通り過ぎた風景だった。9月の終わり頃でまだ夏だったのに、そこだけが季節違いのように見えた。空は真っ青で、遠くには小さく海が見え始め、色が濃い景色の中で、その森は異様にみえた。森のほんの一部分だけがそうなっていたので、その景色はすぐ通り過ぎてしまったけれど、私の中にあの一瞬は色濃く印象に残っている。彼はその景色のことを覚えてもいないと思う。いや、私の記憶でさえそれが事実であったと証明するすべはない。小袋成彬は「君は流れる木々を見ていた 俺はいつも遠くを見ていた」と歌った。どれだけ同じ時間を共有しても、見ているものも覚えていることも違うのであれば、とたんに思い出は嘘をつき始める。時間が経てば経つほど、自分でもどこが真実でどこが書き換えなのか、もうその差はわからない。本当に胸を掴まれた瞬間の写真は、1枚も残せない。

道中、自分が木だったとしたらどんな木がいいか、という話になった。彼は「変な形をした存在感のある木」と答え、私は「誰にも気付かれないようなところで細く柔らかく立っている木」と答えた。海がぐっと近くなった時、空と海の青が繋がってみえた。急に思いついて「海と空が逆転したら、どんな世界なんだろうねえ」と言ったら、彼は瞬時にはっと息をのんで「今おれも同じこと考えてた」と言った。
さっきみた荒涼とした木々の森の奥に、私たちふたりの木々を並べてみた。バランスがとれているかはわからなかったけど、彼の答えは彼らしいなと思い、首を少しだけ大袈裟に右後ろに捻って、口元だけで微笑んだ。窓を全開にしていたので髪が風に強く吹かれ、ばたばたと左頬を細く強く打ってきた。車中は音楽もかかっておらず会話がなければ静かだったが、それに気付いたのはずいぶん後になってからだった。

帰り道で道に迷ってたまたま行き着いた山の遊歩道を歩いていたら、草は繁っているがなんとか通り抜けられるトトロの小道のような小さな脇道を見つけた。進んでみると、その先は崖につながっており、かろうじて座れる小さなスペースに腰をおろすと、真下に海が望めた。その日私は初めて、鯨の群れが海を悠々と泳いでいる姿をみた。興奮して持っていたニコンFEを海に向けたけれど、距離が遠すぎて映りそうもない。ファインダーをのぞいたまま視点をずらすと、右手を目の上にかざして鯨を眺める、彼の後ろ姿が入り込んだ。彼のがっちりとしかし丸みをおびた肩が、小さな鯨のように見えた。その時に撮った写真は、帰国して人生で初めてつくったzineの表紙にした。zineのタイトルは「A Dream of whales」と名付けた。

あれから更に数年が過ぎ、それ以来彼とは会っていないが、あの旅を思い出そうとすると、あの荒涼とした木々が流れている光景が真っ先に浮かぶ。うまく説明はできないけれど、あの時私は確かに幸せだったし、その光景はその気持ちを更に強めていた。枯れてしまってもそこに立ち続け存在し続けている木々の姿に、もしかすると私たちふたりが恋人だった頃の過去の姿を重ね、しかしその過去を経て戻ることのない今もなお、こうして互いがこの世界に存在しそれぞれに生き続けているという事実に、どこか安心していたのかもしれない。もしくは、あの荒凉とした景色の寂しさが、高校生だった私たちを引き寄せ恋人として繋いだ友人の死を思い出させたからかもしれない。そして彼女の死が再びこうして私たちを引き寄せることになった、死のもたらす人生の美を知らされたからかもしれない。
帰りの車中、晩ご飯を決めるにあたり、ふたりでいっせーので食べたいものを口にしたら、同時に「フォー」と答えた。味は覚えていないが、匂いだけははっきりと消えないフォーだった。

「荒涼」ときいてもうひとつ浮かんだのは、大学の頃にハマっていたガス・ヴァン・サントの映画だ(奇しくも、彼もポートランドと関係のある人だ)。
大学一年の頃、友人に勧められて観たのが『エレファント』だった。初めて観た時からあの映画に完全にのまれてしまい、それから約1カ月ほど毎日、暇さえあれば何度も繰り返し観ていた。それを知った友人たちは、私のことを鬱なんじゃないかと心配した。
確かに内容は重く暗いが、私は今でもあの映画をいわゆる暗い作品だとは思っていない。あくまで淡々と、人の日常が流れていっているだけにしかみえない。そこに感情はあまりないし、だから暗くも悲しくもならない。実際に起こったあんなにも悲惨な出来事(1999年にコロラド州で起きた高校銃殺事件)を題材にしているにも関わらず、無理矢理な抑揚をつけて描くのではないやり方で、あくまで美しいソナタを聴いているかのような作品で、そんな撮り方ができるガスに私は心底惚れた。
それから彼の他の作品も観るようになり、『ジェリー』なんかも好きだった。「グッド・ウィル・ハンティング」や「ミルク」などのメジャー向けのつくり方をしている作品も良いのだが、やはり私はインディペンデントの雰囲気を残した彼の作品の方が好みだ。「パラノイドパーク」はDVDも買って何度もみた。テーマの重さに反して肩の力は抜けていて、でもだからこそみえてくるものを確実に捉え、それを音楽やアングルの効果などもうまく使って表現できるのがガスという映画監督だと思う。基本的に彼の作品から感じるのは、人間の内部に存在する荒涼とした感情だが、しかしそこを通過した時に一気にあたたかな愛が吹き出してくるという二重構造を持っている。その愛も決して大袈裟ではないけれど、だからこそこの手に捕まえられる愛おしさがある。簡単なようでいて、それを作品に映し出すのはなかなか難しいことでもある。
そもそもポートランドに初めて旅行に行ったのは、ガスの世界に直接触れたいという想いだけが理由だった(彼の前期の作品はほとんどポートランドで撮られている)。最初の時も二度目に訪れた時も、残念ながらガスを街で見かけることはできなかったけれど、あの映画の世界に自分がいるのだと思うと、ただ道を歩いているだけでも胸が高鳴った。
初めて訪れた時には昔の恋人がその街に住んでいるとは知らなかったけれど、あの街に私が惚れたのも、必然だったのかもしれないなと思わずにはいられなかった。ただの見知らぬ街が、たった一人の存在により大きく印象が変わってしまうなんて、人のもつ力はあまりにも大きい。

これを書いている今、実は別のことで少し荒涼とした心持ちだったのだけれど、あの木々や彼やガスのことを思い出していたら、優しい気持ちになってきた。荒涼とした風景は何かが終わったことを示していると同時に、しかしその終わりがどこまでも終わらないという永遠性のようなものも感じさせる。その終焉の永遠性を哀しいと感じる人は多いのかもしれない。輪廻転生的に、終わりを迎えて何かが始まることだけを望む人もたくさんあるけれど、終わったものが終わったままの姿で存在し続けるということも、私は美しいことだと思う。そこにはまた別の強さがある。その永遠の終焉風景を見つめ続けていると、どこからかじわじわと優しさが湧いてくる。あたたかな水がゆっくりと身を包み、息ができないのに苦しくはないような、とても不思議だけれど、すごく心地がいい、そんな気持ちになるのだ。

そういうことを、「荒涼」という言葉を通して考えていた。こんなエモーショナルな私で少し驚かせてしまったかもしれないが、これもまた私なのだ。あの枯れた木々の奥に、彼と私の木は実際には立っていないけれど、想像しさえすれば、それはいつだってまた現れることができる。大切なのは、そこに立ち戻れる想像力と想いがまだ残っているということではないだろうか。たとえ今の私たちの関係性が何かしら荒凉めいたものだとしても、枯れきらないものは必ずあるはずなのだ。それが人と人とが、この人生で関わったことの、またひとつの証となる。


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