コントロールできるものをもつこと、あるいは趣味についてのエクスキューズ

こちらの記事に、趣味に打ち込む「7つのメリット」が挙げられていた。大半が特に驚きのあるものではないけれど、7つのうちのひとつ、"●趣味は「フル・コントロール」体験を与えてくれる"という項目にはハッとした。

「金融危機の直後から、サイクリングを始めました。そこで大事だったのは、『サイクリングの活動は自分でコントロールできる。世界はコントロールできないが、どのようにエクササイズするかはコントロールできる。自分がある程度コントロールできる何かを持つことが必要なのだ』ということでした」

自己統制的自己効力感ですよね。

他の人も多分そうだと信じているけど、私はできるだけ常に「自分はどうにかできる」という感覚を持っていたいほうだ。もちろん、自然現象、事故、病気など、自分の力でどうにもならないことがあると理解したうえで、生じ来るさまざまなできごとを、どうにか自分がコントロールしていると感じながら生きていきたい。

そういう欲求の延長で捉えれば、趣味は自己効力感を味わうための箱庭だ。自分ひとりのコントロール下で試行錯誤できること、これが趣味のもつ大きな価値なんだろう。ひゃくぱーうまいようには罷り成らない日々において、ものすごい輝きのある大きな価値だと思う。

筋を通したい文章じゃないので気にせず飛躍する。

職場におけるメンタルヘルスの状態については、仕事要求量と裁量度に関連があることは広く知られている。(突然のテンプレ文感)

これは何も職場に限った話ではなく、家庭であっても同じことだろう。というか、大人にとっては家庭も職場のひとつみたいなものだ。

例えばいわゆる「産後うつ」。母体はホルモンバランスと睡眠不足の影響が多分にあったうえで、乳児の、まだスケジュールの定まらない生理現象(そう、単に反射であって乳児本人の意思ですらない)に振り回され続けるという……思いを巡らせるだけでもつらい状態におかれがちだ。

この状態におかれて常にメンタルがヘルシーであることの方が信じがたいし、私自身の卑近な経験でいえば、20分と続けて寝ない乳児と、うつを患って不安感が止まらない夫に、前門の虎後門の狼よろしく挟まれながら3名全員サバイブしたことは、もはや2014年東京の小さな奇跡と言っていいんじゃないかとすら思う。そうだそうだ、この功績についてはもっと褒めてつかわされるべきなのではないか。Don't you think so?

(あっいけない!脇道にそれたうえに私情が色濃く出てしまった、いけない!)

疲れたから雑にすすめると、まあつまり、メンタルがヘルシーひいてはフィジカルヘルシーそしてソーシャルヘルシーであるために趣味を大事にしたいですよね、というとんでもなくつまらない話で終わるわけです。回り道したわりにつまらなすぎる着地で自分でも普通にびっくりした。

何かと、人のもつ機能や特徴で切り分けられがちな世の中だけど、みんな生身の人間だからね。人間から特定の機能だけを切り取って使うわけにはいかない。

そういう当たり前のことをやっと実感しているこのごろです。

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