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「過去の自分」を助けに行くつもりで行動する

最近、自分の行動の源はなんだろう?と考えてみることがあり、ひとつ浮かんだキーワードがあった。

それが

「過去の自分」を助けに行くこと

たとえば、発信で言えば、「乳がんの体験談」は、自分で体験した貴重な病気の経験を、せっかくだから他の人にも知らせて、誰かの役に立てばよいなぁと思って書いたこと。

ただ、それは「誰かに言いたい」だけでも、「人の役に立つ」だけでもない。過去の自分が、もしこんな記事があったら助かるだろうなぁ。と思うよね、という情報なのだ。

検査はどんなことをするのか、手術は痛かったのか、実際抗がん剤で禿げてみてどうだったのか、いろいろ知りたかった。周りに体験者がいないので、聞くわけにもいかない。患者会に参加してみたら、なんか暗くてそんな雰囲気じゃなかった。治療という現実は、生活の中にある。だから、そんなひとつひとつのぶっちゃけた感想みたいなものを知りたかったのに、わたしが乳がんだったときは、見つけられなかった。だから書こうと思った。

抗がん剤で禿げるので、ウィッグを用意するにしても、病院には高額の商品パンフレットしか置いてない。だから調べなければそのまま高額のウィッグを買うことになる。だけどわたしがアピアランス外来(※抗がん剤に伴う外見の変化の相談窓口)で聞き込み調査をしたら、実はもっと安くて、髪型が可愛い医療用のウィッグが買える店があったり、医療用じゃなければもっと安く買えるし、そういうお店でも抗がん剤対応のために部屋を仕切って試着室があるお店もある、という情報を得られた。

アピアランス外来の人も、毛が抜けることにフォーカスせず、せっかくだから髪型をいろいろ楽しんじゃいましょう!というスタンスで接してくれて、抗がん剤の脱毛も、ウィッグ生活も、全部が新しい体験で楽しみになった。

そんなこと、調べなかったら分からなかった。特にわたしはがん専門病院だったので情報が豊富にあったが、普通の病院ならそこまでの情報は得られないかもしれない。それに、ただでさえ気分が沈みがちな「がん」という病気の前に、そこまでウィッグについて調べる元気がない人も多いだろう。

読者がさほど多くはない自分のブログで体験談を書いても、届けられる人は少ないかもしれない。だけど、もしわたしが過去に戻って、「乳がんです」と宣告され、あれこれネット検索をしたときに、この記事が出てきたら、きっと嬉しいと思う。わたしは記事を書いた人にコメントをして、もっと話を聞かせてくれと言うだろうと思う。

だからわたしは、過去のわたしを救うつもりで発信しているのだな、と気づいた。

そして、実際この記事を公開したことで、何人も「乳がんになったのだけど話を聞かせてほしい」という連絡をもらった。

その人によって知りたいことは違うし、それに対して伝えた情報がどれだけ役に立ったかわからないけれど、この記事が何かしらのきっかけになったことは確かだ。

それは病気のことだけじゃなくて、食べ物の記事だって、訪れた場所の記事だって、観た映画のことだって同じ。

自分自身も、どこか新しいものに触れる前には誰かの体験談や口コミを調べる。そこで、実際に見て、触れて、訪れて、それがどうだったのか、いち個人の感想を読みたいと思うからだ。

発信だけでなく、行動も同じだ。

むかし、新しいグループに入って、ポツンと放っておかれて寂しい思いをしたから、新しい人が来たら必ず話しかける。

困っても助けてもらえなくて悲しかったから、困っていそうな人には声をかける。

わたしがしてほしかったことをするので、相手によっては迷惑かもしれない。けれど、迷惑かもしれない、で行動しなかったら、結局またわたしのような寂しい思いをする人が増えるかもしれない。

だからわたしの行動の根源には「過去のわたしを助けに行っている」という気持ちがあるのだなぁ、と改めて気づいた。

過去のわたしを救うことで、わたしじゃない誰かも救える。過去のわたしも報われるし、わたしじゃない誰かも助かって、しかもわたしは癒される。こんなにいい話があるだろうか。いやない。

だから「過去のわたしを助けに行く」この活動を続けていこうと思う今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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