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話をしていて楽しい人と、疲れる人との違いとは?
話していて疲れる人
人としては嫌いではないのだが、
どうにも話していて退屈な人がいる。
最初のうちは良いのだが、
何回か回を重ねて会うと、
会うと、ぐったり疲れる人と、
もっともっと会いたい人とに分かれる。
そもそも気の合わない人とは無理して付き合えないので
友達は少ないし、プライベートの友達関係ではそういうことはないのだが、
仕事関係だったり、サロンなどリピートして施術中にフリートークが入る場面などで、ときどき、ドッと疲れるときがある。
逆に、話せば話すほど仲良くなり、深い話をするようになる相手もいる。
あるとき、その違いは何だろう?と考えてみた。
すると、あることに気が付いた。
キーワードは「会話泥棒」
わたしが会うたびに疲れてしまう相手は
「自分の話ばかりする人」だ。
しかもそれが「自慢話」だと
本当に疲れてしまう。
会うたびに自分の話ばかりで
こちらが話を振ってもすぐに「わたしは~」と主語を変えてしまう。
昔の知り合いでも似たようなパターンの会話をする人がいたが
わたしの友人はその人を
「会話泥棒」
と呼んでいた。
そうだ、会話泥棒。
これが友人なら会わなければいい話だが、
サロンなど定期的に、ある程度の長時間
フリートークをする相手だとめちゃくちゃ疲れるのだ。
例えば、わたしが
「この前、〇〇という映画を観に行った」という話をしたとする。
そうしたら、大体の人は「何を観に行ったの?」「映画の感想は?」など、ある程度相槌を挟みつつ、自分の興味関心について話すと思う。
だが、わたしが疲れてしまう相手は
わたしが「〇〇という映画を観た」と話したとして、
その返答に
「へー、知らない。それでわたしは〇〇でね」
みたいな感じで、こちらの話は聞かずに自分の話をぶっこんでくる。
会話のキャッチボールも何もない。
常に自分が主語になる。
しかもどうでもいいヤンチャ話や
自分のふがいなさを武勇伝のように語ってくるので
こっちも付き合うのが大変だ。
そういう人は、自分の話を聞いてほしくて
きっと「すごいねー」と言ってほしいのだろう。
何かコンプレックスがあるのかもしれないし
満たされない何かがあるのかもしれない。
わたしはそういう空気を感じ取ってしまうし
意地悪なのでそういうシチュエーションでは絶対に「すごいね」とは言わない。意地っ張りである。
とはいえ、わたし自身も振り返ってみれば、自分を認めてほしいばかりに、マウンティング的な態度で他人の話を聞かず、自分の話ばかりしていた時期があったと思う。
だけど自分の話ばかりを聞かされるというのは
非常に苦痛なことだとわかったし、過去の自分が相当イタイ状態だったというのもわかった。
わたしが会話に求めるものとは
人の話を聞くのはやぶさかではないし、
面白そうな話は夢中で聞く方だが、
わたしがその会話に求めるのは
どちらが主語であれ「共感」だ。
自分の考えと共通点が見つかれば楽しいし、
話が盛り上がる。
価値観の合う人とはいろんな意見交換もできるし、
改めて違う意見を聞くこともできる。
愚痴ってスッキリさっぱり、もできる。
なによりおしゃべりして楽しくスカッとする。
持ちつ持たれつ、どちらが主語でも共通点を見出せる、そんな信頼関係の上だからこそ、その相手に相談したいフラットな関係でいたい。わたしにとって大事な、気の置けない相手というのは、それが無意識的に成り立っている数少ない相手だと思う。
フラットな関係が心地よい
ある程度の興味関心や価値観が合っていそうなのに、
いざ話すと「私が私が」とグイグイ来る人は、惜しいところで残念だが、
会う回数が重なるほど、こちらの疲労が増す。
なぜなら耳にタコができている自慢話をまた聞かされるのが分かっているからだ。
耳にタコ、といえば、親と電話するときも、同じ話を数百万回ほど聞かされているし、また同じ話をすることが分かっているので、かなり心の事前準備をしてから話すようにしている。これは親孝行として、そして親子のコミュニケーションとして納得してやっているが、やはり同じ話を死ぬほど聞かされるのは親子でもしんどい時がある。
わたしが目下しんどいのは友達ではなく、サービスを受ける立場だったりのときで、お金を払っているのに疲れて帰るというのも、なんだかなぁと思い、サービス自体は満足がいくものなのに、そのサービスを受けている最中の会話で疲れるというのもなんだかなぁ、と思い、少し距離を置くべく身の振り方を考えているところだ。
アラフィフになった今も、20代の昔もおしゃべりが大好きな私だが、コミュニケーションというのは、さじ加減ひとつで楽しくもつまらなくもなるなぁと思う。
だからこそ面白いし、だからこそ難しいし、面倒くさい。
けれどその面倒くささの中から、大事なものを見つける楽しみがあるから、やはり人付き合いは楽しいな、と思う今日この頃だ。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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