「せっかくだから」「どうせなら」おばちゃんの流儀は、おせっかいで欲張りで優しくて楽しい
ママ友と話していて、歳をとると、ものすごく図々しくなるよねぇという話題になった。
歳を重ねた女性の全員がそうなるわけではないし、「おばちゃん」と呼ばれたらムッとする女性もいるので、もちろん例外はある。
なので今回は、「おせっかいで、図々しくて、涙もろくて、人情深い」、私を含め、そこらへんにけっこういそうな妙齢の女性たちを「おばちゃん」と定義して、その愛すべき生態について書いてみようと思う。
1.おばちゃんは互いに助け合おうとする
スーパーで隣り合わせになったおばちゃんと「安いわよねぇ」「ほんとよねぇ」なんて世間話をすることもあるし、ちょっと困っていそうな人にはすぐに声をかけるし、おばちゃん同士は「お互い助け合おうよ」という暗黙の了解の上に成り立つコミュニケーションがあったりする。暗黙の互助会制度だ。
先日、うちのマンション一帯が突如停電したことがあった。ちょうどわたしと息子がでかける直前で慌てたけれど、ツイッターなどで検索すると、1時間くらいで復旧する予測が立っているようなので、予定通りでかけた。
だが停電でエレベーターが止まっているので、12階から外に出るのにひたすら階段を下りる。その途中に外から帰宅してエレベーターが止まっているので、停電とは知らず階段を上ってくるご近所さんとすれ違う。
そんなマンションの階段を12階分下りる最中に、すれ違ったのは3~4人。全員主婦だ。
ご近所さんとすれ違うたびに「エレベーターが止まってますよね~」とあいさつを交わしつつ、「停電ですよ」というと、リアクションはみんな「ええっ、冷蔵庫大丈夫かしら」だった。主婦にとって冷蔵庫が機能しないほど痛いことはない。
ネットの情報だと1時間くらいで復旧するみたいですと伝えつつ、「ほんと夏場の停電は怖いですよねぇ」と互いに挨拶して通り過ぎた。
そういう即座の情報交換と世間話が当たり前に出来る、それがおばちゃんという生きものだ。
パート先でもわたしのおばちゃん気質は炸裂している。店員として働いているときにお客様から何か聞かれたら、ついついサービス精神が炸裂して、聞かれた以上のことを答えてしまう。
自分がそうされたら嬉しいなと思って接客して、「丁寧にありがとうね」と喜んでもらえたら、ああ、話してみてよかったなぁと思う。相手を見ているので、余計なこと言うなって言われたことはない。
周りを見ていると、おばちゃん主婦パート陣は、ほとんどが何かを聞かれたら丁寧に応えて、「いいもの見つけちゃった」「それ、ほんと可愛いですよね」とかいう他愛のない会話も挟んで接客していて、なんだかほほえましいよなぁと思う。
2.なりふり構わずの子育てで培われてしまった図太さ
そうはいっても昔はそこまで他人と話すこともなかったし、図々しくもなかったのに、いつからこうなったのだろうと遡ってみたが、
子育ての時期、なりふり構っていられない時期に、その図太さの大半は培われたのだろうと思う。
子どもが小さいと、どこに行っても誰かの助けを借りないと、なかなか物事が進まない。
2~3歳の子ども連れなら、自分がトイレに行くことさえ一苦労。ベビーカーはあるし、子どもは置いていけないし、自分はトイレに駆け込みたいし、荷物もある。ママ友や自分の母親と一緒なら、一瞬見ていてもらって、ダッシュでトイレに行く。
そうやって、少しずつ誰かの手を借りないと、ほんとに何もできない時期というのがあるのだ。
子どもとお出かけするにも、授乳はできる場所はあるか、おむつ替えできる場所はあるか、ベビーチェアはあるか、エレベーターはあるか、調べられる範囲で調べるが、あとはもうその場で聞くしかない。
子どもが何かをこぼしたり落としたりしたら、店員さんを呼んで謝っておしぼりをもらったり、拭いてもらったりするしかない。
もう、いちいち申し訳ないと思っていたら身が持たないのだ。自分のことなど後回しですべての精神を子どもに集中させたって、それでもひとりではどうにもならないことが降ってわく。
こんな毎日を繰り返していると、恥ずかしいだの、人の目が気になるだの、なりふり構っている場合ではない。その場で、そこにある道具と力をつかって乗り切るしかない。そうやっているうちに、だんだん図太くなってきたのかなぁと思う。
3.大変なときにもらった優しさを、自分も返したい
そして、そうやって困っているときに、誰かがそっと助けてくれたり、優しく接してくれたりと、見知らぬ誰かが差し伸べてくれた手が、たまらなくありがたく感じて、そのときのありがたい気持ちも覚えている。
そういう、手を差し伸べられる側、つまり弱者の気持ちがわかるようになったから、困っていそうな人にも恥じらうことなく声をかけたくなるようになった。
若いころは、なんとなく困っていそうな人にも、迷惑かなぁ、とか、恥ずかしいなぁ、とか、声をかけられずもじもじしていたけれど、自分が困っているときに声をかけてくれた時のありがたさを思うと、迷惑かもしれなくても、申し出ようと思うようになった。
そうやって、子育て期に、「使えるものは使う、集められる情報は集める」となりふり構わずやってきたせいで、どんどん図太くなってきたのかもしれない。
4.口グセは「せっかくだから」と「どうせなら」
そういえば、おばちゃんという人種は「せっかくだから」と「どうせなら」を多用する人が多い気がする。
時間もお金もやりくりして実現した旅行、
せっかくだから、思い切り欲張りに楽しみたい。
買い物に出かけてウロウロ。
どうせなら、安くていいものをゲットして、お得を楽しみたい。
そんな、自分に使える限られた時間を最大限有効活用するために、「せっかくなら」「どうせなら」マインドが植え付けられたのかもしれない。
これは自分の得ばかりではなくて、
「せっかく仕事するんだから、それなりにちゃんとやりましょうよ」とか
「どうせご飯を作らなくちゃいけないなら、みんなが好きな料理にしようかな」とか、他者に対しても発動する。
この「ついで精神」がおばちゃんの強さであり、魅力であると思う。
5.いろんな理不尽を味わってきたからこそ、他人に優しくできる
そんな風に必死こいて生きてきて、知らぬ間に図々しさやおせっかいというおばちゃんパワーを身に着けてきた自分を、よく頑張ってきたね、といとおしく思う。
理不尽なことがいっぱいあって、そのたびに忸怩たる思いになって、それでも踏まれた雑草のように踏ん張ってきて、今がある。
そういう思いをしてきたからこそ、頑張れることがあったり、だからこそ、つらい思いをしていそうな人への思いやりを持つことができたり、手を差し伸べてみようかなと思えるのだから、そういう辛い思いをしたのも、無駄ではなかったのかもしれない。もう二度とごめんだけど。
そして、これは主婦に限ったことではなく、いろんな生き方をしているけっこうたくさんの女性に当てはまることだと思っている。
わたしは主婦という生き方で30代後半からアラフィフの現在まで来ているので、その経緯をこのように分析するが、そうではない人生でも、いろんな辛酸をなめ、理不尽を生き抜いてきた人って、なんか優しいし、あったかく年を重ねている気がする。あくまで個人の感想です。
まあ、そういうわたしが定義する「おばちゃん」という人種は、欲張りで、いろんな情報をいろんな場所から集めるし、長く生きてて経験値も高いので、ついついその情報をいろんな人に教えたくなる。おせっかいで、サービス精神旺盛で、涙もろくて、図々しいけど、愛すべき存在だなぁ。と思う。自分で褒めてるけど、いま、そういられる自分が嬉しい。
今日もお読みくださりありがとうございました!
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