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何かにつけて「ずるい」「不公平」と言う人の心理

東京都の小池知事が、高校の実質無償化を発表した。

私の第一印象としては「さすが東京都はやることが早いな。なかなか動かない国に先行して素早く行動できるのは評価できるな」と思って見ていたのだが、驚いたのは街の声。

朝の情報番組で周りの近隣県民にインタビューしていたのだが、「ずるい」とか「不公平だ」とかいう意見が出ていたのだ。

とにかくびっくりしたのは、いい年をした子持ちのオッサンが、「うちは多摩川を渡ってすぐの川崎市で目と鼻の先が東京都なのに、自分たちがその恩恵を受けられないのはずるい」とかいっていたこと。

「僕は東京都出身だけれども、川崎市にあえて住んでいるのに、、、なんかずるい」と言う発言があって、正直ひっくり返るほど驚いた。

東京都生まれだけど、川崎に住んでるのは自分の選択で、その選択は自分なりの理由があって選んだものだろうに、いざこういったおいしい政策があったら、川崎市がやってないからずるいってなんだよ?

ついでに言っておくと、多摩川の脇だろうが、箱根だろうが、神奈川県は神奈川県です。言いたい気持ちはわかるけど、多摩川が目と鼻の先とか関係ないんでね。

頼むからテレビ局のヤラセであってくれ。本気で言う人がいないことを心から祈らずにはいられない。

だって、大の大人が「ずるい」だの「不公平」だの言うなんて田舎の小学生かい?

たとえば、高校無償化をする際に、急に県境が変わったならわたしも文句言うよ。だけど昔から川崎は神奈川県なわけで、そこに住むのに仕事なのか、家賃なのか、何らかの理由があって住むことにしたわけでしょ。

で、東京都が決めたたった一つの施策に対して「うちはやってないのにずるい」ってコメントってどうよ?

東京都がやってなくて川崎がやってる施策だってあるかもしれないじゃないか?

わたしは今のところ神奈川県民で、東京都に住む予定はないので詳しくはないけれど、今回の施策以外でも、先陣切っていろいろな保証を手厚くしているなぁという印象はある。

それは税収もあるからだし、人口も多いからだし、色々と財政のやりくりがうまくいってるからなんだろうし、小池知事があれこれ目立つことが好きってのもあるかもしれないし、いろいろなわけであって。

私は神奈川県民だが、神奈川県知事は、大体、東京の真似っこをしているか、何かと後手後手だなぁとは思ってる。だけど東京がやったことに対してずるいとは思わないし、東京が本気でいいなぁと思えば引っ越しを検討する。

東京都はなんだかんだで動きも早いし、老人にもそのうち手厚い施策をしてくれるのかな、とか、老後は車の運転などがもうできなくなることを考えると、便利な都内に住める家を持っておきたいなとか、そういうことは考えるけど。

こういうときにいつも思うけど、誰かが何かするたびに「ずるい」「不公平」っていうの、日本て多くないか?

コロナの時も震災の時もそういうのあったけど、自分たちが我慢しているのに、他の人がやってて「ずるい」っていう空気がすごくあったけれど、それってなんかおかしくないか?

震災があった時も、全く被害が関係ない地域で、自分たちだけお祭りをやるのは悪いから中止とか言う謎の自粛ムードも漂った。関係ない土地でお祭りやって何がずるいの?

コロナの中に旅行に行った人に対しても、(自分たちが旅行を我慢しているのに、という文脈で)「ずるい」と言われる人もいたようだ。私もそう言われたくないので、自分から旅行に行ったとは言わなかった。

その「ずるい」とか「不公平」って、ただの「妬み」なんじゃないかしらね。

自分たちだけ楽しんだらいけないし、他のやつが楽しんでいたら「ずるい」となじる。「ずるい」では大人げがないから、それっぽいかわいそうな人を持ち出して「不公平だ」という。

ごめんなさい私には全くその感覚が分かりません。

他が大変なときに自分が楽しんではいけないのなら、今大変なイスラエルだとか、ウクライナだっておんなじことで、そんなこと言ったら世界中のどこかでいつも誰かが戦って、いつも誰かが飢えているこの世の中、わたしたちは生活を自粛しなくちゃいけないのか?貧困で飢えてる人がいるから、豪華なディナーを誕生日に食べてはいけないのか。それとも日本じゃなければ、近所じゃなければ、どうでもいいの?

と考えると、自分の気に入らないときだけ「ずるい」「不公平」って言ってる気がする。

改めて「ずるい」と「不公平」を定義してみよう。

「ずるい」というのはどういうことか。

人をだしぬいて自分が得をするような、正しくないやりかただ。わるがしこい。こすい。

ハッキリ言って、東京都は川崎市も神奈川県も出し抜いていないのでずるくない。東京都が勝手に決めたことだ。

不公平とはなんだ。
状態や扱いが一方に寄っていて等しくないこと。

東京都民なら受けられる補助の何が不公平なん?

ムラ社会の生活が長すぎて、感覚が狂っているのか知らないけれど、「ずるい」ってのは公平であるべきゲームなどでルール違反をした場合、たとえばテストのカンニングとかそういうもんじゃないのかね。

さらに「不公平」ってのは、そのカンニングをした人にも袖の下をもらったりして同じ得点を与えたとか、そういうことじゃないのかね。

「ずるい」「不公平」って言っておけば、なんとなく正論ぶちかましているような気になってないか?

何かにつけて「ずるい」とかいう人ほど、自分がおいしい思いをしたときには知らん顔するんじゃないかと疑ってしまう。そういう発想が浮かぶ時点で「ずるい」んじゃないのかね。

だからそういう視野の狭いこと言ってないで、自分の置かれた場所で自分の生活をきちんと送ることに集中すればいいんじゃないのかなと思うし、今いる場所に不満があるのなら、他人の足を引っ張らずに、自分をどうにかする方法を考えたほうが良いと思う。

東京都のサービスがいいんだったら、東京都に引っ越す計画立てればいいんじゃないの。

自分で考えて自分の選択をしていたら、他人のことを「ずるい」「不公平」なんていう事態にあまりならないと思うのだけど。

コロナ禍になって急に休校になったときにも、オンライン授業に切り替えたいときに「タブレットを持ってない人がいるから不平等だ」と反対意見が出て、オンラインに切り替わるまでに相当時間がかかったらしい。

先生方はそれまで大量のプリントを持って各家庭に「徒歩で」配り歩いたそうだ。郵送の予算がないから、らしい。それってどうなのよ?

だけど今みんなスマホ持ってるよね?普及率高いよね?youtubeばっか見てるよね?スマホで見られる授業すればそれで良くない?大きいタブレットが必要なら、持ってない人に貸すように予算つければよくない?なんで「不公平」のひとことで進まなくなるのかが分からない。

わたしがコロナ禍で関わったPTAの委員会も謎だった。毎年恒例でやっていたPTAのイベントをやるかどうかの可否を話し合っていたので「すべてオンラインならノーリスクだからオンラインで講演会でもやればいいのでは」と意見を言った。

しかしそれに対する反対意見におののいた。「その時間に家族がパソコンを使っていて見られない人がいるかもしれないから不公平であり、やるべきでない」だの「オンライン講演をするために動くスタッフがリアル稼働をするから危険である」だの「子どもが勉強をしている最中に私たちが育児の講話を聴くなんてずるいと言われそうだ」と、「やらない言い訳」としか思えない意見が出て正直ひっくり返った。よくそんなこと思いつくなぁ。二度と言わないと誓った。


とにもかくにも「ずるい」「不公平」と、ちょっと文句を言えばまかり通ってしまうがために、良さそうな施策もシャットアウトされてしまって、世の中がどんどん退化してしまっているように感じる。

何かあるたびに「ずるい」「不公平」文化に辟易してしまうが、自分は自分のやれることをコツコツとやっていくしかないなと思い直す今日この頃だ。


今日もお読みくださりありがとうございました!

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