脳が窮屈になるとき
自宅にばかりいるので、集中力が続かないときに喫茶店へ行ってラフを練ることが増えた。
家の近くに渋い喫茶店があるので、ときどきそこへ行く。その店はブレンドもカフェオレも、クリームソーダも全部おいしい。うつわもいい。いたるところに緑があって、店の隅々までさっぱりとうつくしく整えられている。
そんなお気に入りの店で、常連のひとたちが近所の誰かの悪口を言っていることがよくある。聞こうとしなくても聞こえてくるのでなんとなく聞いているうちに、だんだん頭のなかがぎゅーっと縮むような感覚に陥る。
ひとがストレスを感じたとき、それがどんなふうに体にあらわれるかはさまざまだと思うのだけど、わたしは脳みそが窮屈になる。
夜眠れないときもそうだし、誰かと喧嘩したあともそう。なにかを発表する前も頭がひどく締めつけられる。イメージするのは三蔵法師が孫悟空の頭につけた輪だ。あれは悪いことをしたときに締まるものだけど。
そんなふうに脳を刺激するこのストレスに名前をつけるなら「不安」だ。自分がそこから逃れられないときに頭が締めつけられる。
体と心は不可分だ。目に見えないはずのなにかが、形を得てはっきりと自分に見えるようになるのはおもしろく、見えない心のバロメータにもなる。
みなさんもご自愛ください。
いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。