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アップデート中はケーブルを外してはいけない

頭がしびれるほどぼんやりしている。ひたすら街を歩いたり、開け放った窓のそばに横たわって空を眺めたり、ぼんやりしていることが気持ちよく、幸福で、ずっとそうしていたいのだ。

OSをアップデートするときのように、中のものを整理したり、新しく積み上げるためには、PCの準備が済むまで放っておかなくてはならない。わたしのiPhone8はうっかりケーブルを抜いたために、つい先日お別れすることになったけれど、わたしの頭のなかで始まったアップデートもまた、作業が終わるまでしばらく放っておかなければならないのだと感じる。

人間の脳のアップデートには相応の時間がかかる。アップデートをしばらくしていなかったのならなおさらだ。執着していたものにすこしずつ別れを告げ、忘れていた過去の記憶と再会する。

自分のかく絵や言葉は過去の自分や他者によって育まれている。ここで言う他者とは、わたしが直接関係したひとはもちろん、生まれたときにはもうこの世にはいないようなひとたちのことももちろん含まれる。この世に絵や言葉が生まれたときから現在まで、文化を育んできたひとたちのこと。それは世界の歴史と直結する、大きな大きなひとつの物語にかかわる他者のことだ。

それに気がついたとき、自分の絵や言葉に対して他者へ向けるような愛を初めて見つけることができた。いまこうしてここに書いている文字にも他者は宿っていて、それをまた別の誰かへ届けることができるというのは、よくよく考えてみたらなんとすごいことなのだろう。

他者や自分が育んできたものがいまこの手にある。それは大きな希望だ。その希望を抱きしめて慈しむか、希望などはないと持てるものを否定するかはわたしにゆだねられている。わたしはその希望とどう向き合っていきたいのか、初夏の日の下でじっと考えている。

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