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海鳴りを聞く

僕は考えている。ひとつの、ある問いについて。

机にかじりついて考えていても詮ない。溜息。僕は歩いてみる。どこへ向かって?目的地は特に決めない。職場、公園、なじみの喫茶店、今日はどこへも向かわず、足の動くままに体を進めている。右、左、右、左ーー腕はそれとは入れ違いに、左、右、左、右と互いに振り子のように揺れている。体の隅々に根を張っていた力は全身の毛穴から蒸発し、ねばりついた重さから解放される。

いまは初春、夜だ。
空には雲がかかり、上弦の月がその輪郭を溶かしながらうっすらと浮かんでいる。胸が大きく動き、息がはずむ。大きく吐いたそばから春の空気は僕の肺へと流れ込み、その肺胞ひとつひとつを揺り起こしている。

春だ、春、春だよ、

僕の肺胞はつぼみのようにやわらかくふくらみ、ももいろ、やまぶきいろ、そらいろ、ぎんねずいろ、数えきれない色の花となって目覚めていく。

呼吸するたび体の隅々まで春に染まり、僕の体は新芽のようにやわらかく生まれ変わっていく。それは僕自身にも止めることができない(呼吸をやめないかぎり)。

なんという不条理を抱えているのだろう、生き物というのは。死んでいくのを止められない。僕は生まれたての赤子のように、快不快だけを感じる生き物になって、もう一度新しい人生に生きる。生きねばならない。生きることをゆるされている。

春になった僕の体はまっすぐに歩いていく。街灯の間隔はすこしずつ広くなり、月あかりが行き先をほんのり照らしている。僕はだんだん一人であることを忘れていき、意識だけで歩いていく。僕が僕である意味など何もないように思えてくる。ただ、いま、歩く。かろうじて、死んでいない。それだけはわかる。

通り沿いの漆喰の白壁、枝葉の影が染みこんでまたひとつ夜が深くなる。
つめたい風がひと吹き、小さい紙切れが乾いた音をたてて目の前を横切る。紙に走り書かれていたのは死んだ男の言葉だった。僕はなぜかその言葉を知っているように思う。記憶の底から、見たことのない記憶がよみがえる。
ああ、と思った。
僕は自分が誰なのか、すぐに見失ってしまう。

私はさらに歩く。
足下の藍色の影が私のいることを証している。小さな黒猫が跳ねていき、古い民家の影に吸い込まれていく。私はもう一度空の月を見上げる。さっきよりすこしだけ西へうつっている。時間が止まってしまったように静かな夜だ。

けれど確実に夜は深まり、朝を迎えようとしている。この世界はうつくしく平穏で、不穏で、妖しく、予感に満ちていて私を引きつける。いつか訪れる夜明け、それに私は抵抗したい。この夜よ永遠であれ。心からそう願う。

そして海へ出た。
砂浜の砂が靴のなかに入り込み、足の裏を無数に刺激する。靴を脱ごうと思ったとたん、裸足になっていた。裸足になった私の足を包む砂は乾いていてつめたい。砂のなかにときどきかたいものがある。貝だろうか。

次第に波で砂が湿り、大地を踏みしめるようにはっきりと歩く。私には見えないが、足跡が点々と海に向かって捺されている。私と世界の接地面はいずれ波にさらわれていく。さようなら。目の前の海は暗く広い。不満を漂わせながら無言をつらぬいている。いつかの母のように。

ぬらぬらとした波のあいだから魚が跳ねる。黒い光沢となって水しぶきをあげる。1、2、み、よ、пять、шесть、無数に着水する音が私の耳に重く響く。橋桁で眠っていた海鳥が目を覚ます。鋭く鳴く。灯台の光が目を刺す。世界が暗くなる。海鳴りが聞こえる。物語をひらく。ひとつの答えが見つかる、そんな予感がしている。

※пять(pjatʹ)は露語で5、шесть(šestʹ)は露語で6

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