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明るいときに頼りにしていたものは、暗くなったときに失われる

夕暮れから日が暮れきるまでのあいだ、川沿いを散歩している。昨日の雨で水たまりができているのを避けながら歩いているうちに、だんだん暗くなってくる。

視覚の代わりに他の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じながらふと、本来、昼と夜はそれぞれ一日の半分を構成しているのに、昼のことばかり考えて夜のことをおろそかにしている、と思った。

昼=視覚の時間、夜=聴覚や触覚など視覚以外の感覚の時間である。でもいまのわたしの生活は眠る直前まで明るく照らされ、明るい光で構成されたコンテンツを楽しみ、その暮らしの多くを視覚に頼って過ごしている。

視覚でものを見るとき、わたしは自分と誰かを比較している。ひとの姿も、数字も、視覚を通じてわたしの中に映し出され、その中でなにかの判断をしていることは、心底打ち明けたくないけれど、どうしたって避けられない事実だ。認知行動療法で「判断を保留する」という態度を学んだけれど、それでも反射的に判断をしている自分に気がついて恥ずかしくなることも多くある。そして多くのひともまた、視覚を通じてわたしのことを判断しているということもまた事実だ。

いまここで書きたいのは、それがいいかわるいか、という話ではない。ただ、それとはまた別の世界が夜の中にある、ということなのだ。夜の時間を取り戻すことは、自分の凝り固まった価値基準を溶かすことにもなりうるのではないか、と思った。

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