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胃もたれしても豆腐そうめんはおいしい

義実家からたけのこが4つ送られてきた。1つは炊き込みご飯、1つは刺身にして、今日はすこしジャンキーにバターとめんつゆで炒めて食べることにした。200gほど炒めて、熱々をうまいうまいと一人で全部食べたら食べ終わるころには気持ちがわるくなってしまった。

今日は清々しい晴天で、もやもやした胃を抱えながら散歩する。途中でいつもの喫茶店に寄って珈琲を頼んでみたが飲みきれない。いったいなにをやっているんだろうなーと思いながら、つばめの飛び交う商店街を家に向かって歩いている。今日は晴天の日曜日だ。すれ違うひとたちはきちんと楽しい行き先へ向かっているように思える。花屋には新しく仕入れた花が咲き乱れているが、胃が重く立ち止まる気になれない。

家に帰ってからベランダに出て豆腐そうめんを食べる。胃は重いのにお腹は減るので食べるほか仕方ない。青く抜ける空を見上げながら、さっぱりとした麺を食べている。世はすばらしい昼下がりだ。

こういう清々しい春の日にも、得体の知れない深淵のありかをわたしは見つけてしまう。日差しはあたたかく、干している布団のシーツは柔らかな風を含んでふんわりふくらむのに、その傍らにある影を見ている。光も影もつねにここにあり、逃れることはできない。

わたしは自分の見ている世界しか見ることはできない。けれどときどき誰かとの会話のなかで、そのひとの世界を垣間見、それが自分のそれとはまったく違うことを知る。底知れぬ沼に手を差し入れながら、頭上の春に心を和ませているとき、別の世界を見ている誰かのことを考えている。

大袈裟に思えるかもしれない。でもこれはもう、わたしの見ている世界なのだから仕方ない。だからこそいまも命について考えることをやめられないし、つねに祈るような気持ちとともにある。

逃げても逃げても生きるかぎりこの暗闇はある。そのことがなにか作るものにもかかわりがあるのかもしれない。そして形は違えど、抗いがたい何かがひとそれぞれのなかにあるのだろうと想像する。だからこそきっと飽きずに、そしてあきらめずに暮らすことができるのだろうとも。

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