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砂の名前

砂漠の上を船が走るという。
はてしなく広がる砂漠のはるか向こうから、船を目指し少年は馬を走らせている。

一陣の風が彼の前を抜け、少年の姿が霞む。
今日は風が強い。気温は四十度、太陽は南中。少年のまとった布が足元ではためき、舞い上がる砂を弾いている。
少年とともに走る馬の、薄く張り巡らされた皮膚は太陽の日差しを浴びてつややかに光っている。少年は体を前に倒し、手綱をつよく引きつけ馬と息をあわせる。

「アズハル、もっと速く、もっと速く」
「この世は醜く許せないことばかりだ」

馬の駆ける振動に少年が自分の体を重ねると、馬が走っているのか、自分が走っているのかがわからなくなってくる。熱くなる体とは反対に彼の心は凪ぎ、もとの静けさを取り戻す。
少年はきのう十五の誕生日を迎えたばかりだった。

遠くから船のエンジン音が聞こえてきて少年ははっとする。一隻の外国船がゆっくりと運河に入ってくるところだった。
少年の眼前に流れてきた船の甲板に、一人の男が立っている。
アジア人だろうか。男は何かを掲げ持ち、光に照らして眺めているーーが、次の瞬間風が吹き、その拍子に男は手に持っていた何かを落とした。手をいっぱいに伸ばすが間に合わない。放たれたそれはゆるやかに弧を描き、砂の上に音もなく落下した。
男は名残惜しそうに甲板から身を乗り出し、砂漠を見下ろしている。

砂の上に転がっていたのは、運河でよく売られている土産物の小瓶だった。小瓶には角ばった文字が書かれていたが少年には読めない。少年は男のように小瓶を掲げ、太陽に透かしてみたが、どう見てもそれは彼がいま立っている砂漠の砂だった。
小瓶に書かれた「石英」という文字がうっすらと砂に影を落としている。「こんな砂、ここにはいくらでもあるのに」。少年はそうつぶやいて男を見上げた。男も少年を見ている。しばらく見つめあった。

船は小瓶を残してゆるやかに進む。
少年の馬が振り返る。
つよい風で砂が舞った。

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