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乾いた心の栄養となるもの

6月の個展がなくなって、次の10月の個展のことを考えている。それ以外にもいくつか展示の予定が入っているので、エンジンをかけたいなあとすこし焦っているのだけど、心が重たくて重たくて仕方がない。

なんでなんだろうとずっと考えていた。百年や、にじ画廊、HBでの個展はそれぞれ力を出しきって制作ができた。その瞬間の自分と向き合い、取り組めたように思う。けれど、今年に入ってからそのパワーがわいてこない。

考えられる理由はいくつかある。イラストの仕事が忙しくなったこと、コロナ禍のこと、夏の引っ越しのこと、体力のこと、言葉にするとだいたいこのあたりだろうか。

乾いてしまった自分の栄養となるものは何か、それを考えるために今週は仕事を休むことにした。風を受けて揺れるカーテンのなかでごろごろしたり、お世話になっているひとのいる場所へごあいさつしに行ったり、自然のなかをひたすら歩いたりした。

会いたいひとのいる場所で顔を合わせて話をし、帰る電車のなかで自分の心を見つめてみる。劇的に変化しなくていい、ただすこしずつ自分のことがわかればいい、と思う。

長い道のりをともにした服を洗濯かごに投げ入れながら、ふと思う。めいっぱいがんばって作ろうと思うのが苦しいのではないか。言葉はこんなに毎日書いているのだからきっと、絵も同じような気持ちで向き合えるのではないだろうか。

自分の途方もない理想を、成長という名のもとに背負わせているのかもしれない。そういえば帰りの電車に乗りながら、今朝までのわたしとは何かがちがうなと感じていたのだった。荷を下ろしたわたしはひとり真鶴の海で泳いでいるのかもしれない。昼に飲んだ味噌汁は、海の味がしてとてもおいしかった。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。