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彼が暮らすのはどんな世界なの

音が気になる。

テレビの音、ひとの話し声、子どもの声、携帯のバイブレーションの音、キータッチの音、レンジや洗濯機の電子音、鼻をすする音、心臓の音―他にも挙げきれないほど。

とくに、つかれていたり生理前だったりすると、よりいっそう過敏になって頭痛をともなったり、目の前のことに集中できなくなったりする。

同居する家族はまったく気にならないタイプで、自分との感覚の違いを新鮮に感じる。彼が暮らすのはどんな世界なのだろう。でも、聞いても聞いても言葉はわたしの体感をともなうことはなく、ずっと理解できないままだ。

わたしの生きる世界はとても微細なものでできている。ただ生きているだけでも飽和しそうなほどに。窓からさしこむ光に心が奪われ、微細な色の揺らぎのなかに心が雫となって落ちていき、音のあわいに心が溶けていく、一つ一つがまぶしくうつくしい一方で、光は目の奥をつんざき、色に目がくらみ、音は頭と心臓を支配する。

解像度の高い場所で暮らすのは、網目の細かいざるを心の中に置くということ。それによってものづくりは深く豊かになっていくが、暮らしとのバランスはむずかしいと感じる場面が多い。

音が気になる自分は広い世界のなかで見たらマイノリティである。自分が他者のマイノリティの苦境を本当の意味で理解することがむずかしいのと同じように、理解してもらうことはむずかしい。ただ、そのことで他者へ向けるわたしのまなざしも想像力をともなっていくのなら、わずかでも意味があるのかもしれない。自分で自分の世界と、体と心を守るすべを見つけていければ、と思う。

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