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6月に予定していた個展について

まだ次回の個展について正式におしらせしていなかったのですが、6月の東京・にじ画廊での個展を延期することにしました。

きちんとおしらせする前のことなので、わざわざその経緯を書く必要もないように思うのですが、いまの自分の気持ちを書き留めておきたいということと、拠点としている東京での活動が少なくなってしまうことにどこか申し訳ない気持ちもあって、こうして書くことにしました。

コロナと社会の関係はいまだ揺らぎ続けています。コロナが生まれ、流行り始めたころから今日まで「わたしはコロナとどう向き合っていくか」を考えて活動してきました。それはわたしがやりたいと心を動かされるのが、ひとと、社会とのかかわりのなかにあり、自分のなかでは完結しないものだからです。

個展では作品を飾るだけでなく、その場を使ってひととどうコミュニケーションしていくかはわたしにとってとても大切な実践の場であり、そこで思いがけない何かを持ち帰ってもらえることができないかといつも考えています。

そんなふうにじっと考えていくなかで行った、コロナ禍まっただなかの塩尻での個展は、この時期にどうやってひとに作品を届けるかということに悩みながらも、たくさんのひとの方の手を借りることで楽しんでいただける場にできたのではないかと感じています。けれどいま、個展と向き合い新しい作品を作ろうと考えたとき、自分の心の畑がからからに乾いてしまっていることに気がつきました。

にじ画廊は2018年に個展を開催してからとても信頼しているギャラリーです。スタッフのみなさんは数ある個展のなかのひとつでしかないわたしの個展にもとても真剣に向き合ってくださったし、わたしにとってとても大切な場所です。駆け出しで不安のなかにじ画廊で行った個展は、初めて作品の買い手がつき、すばらしい先輩と話すことができ、友人と再会でき、初めて自分はどんな人間なのかを空間のなかにはっきりと表現することができた時間でした。

にじ画廊で個展をしてから、さまざまな縁に恵まれ、なんとか今日までイラストレーターとしてやってくることができました。そんな場所でふたたび個展をしようとするのに、こんなからからな畑で育てた作物を展示していいのだろうか、そういう気持ちが芽生えました。

東京はわたしの住む神奈川のすぐ隣で、生まれてからこの方、生活と不可分の場所です。そういう場でしばらく個展をしていないのはどこか心に穴が空いてしまうような気がします。

本当ならすばらしいゲストにアコースティックの演奏をしてもらいたいし、ワークショップもしたいし、お茶を飲んでお客さまと語り合ったりしたいです。でも、去年からそれはかなわず、この状況下で自分の望む個展を作るためにはどうするか、あれこれ出してきたアイディアも、なかば尽きてしまったように思います。

やめてしまうのは怖い気持ちもあります。何事も決めるときにはいつも不安が伴います。けれど、コロナと長く付き合わざるをえないいま、いったん仕切り直して新しい観点から個展について考えるのもいいのかなと思っています。

個展の代わりというわけではないのですが、どこに住んでいる方にも届けられるような仕事もいまいくつか進行です。今年もたぶんいろいろな形のお知らせができると思います。こうしてさまざまな方の力を借りて、作品のかけらを届けることができてわたしは心からしあわせです。

直接お会いしてお話しすることはしばらくできませんが、そのあいだもみなさんの暮らしが穏やかであることを心から祈っています。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。