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帰宅、それからのこと

占星術の世界では大きな節目を迎えているなか、わたし自身は伊勢から帰った自分の体をこちらの暮らしに調整し直しているところだ。今日は実家に預けていた文鳥を引き取ってきた。

伊勢での滞在を通じて変化した自分の心と体をぼんやり見つめながら、なんとなく、いままで通りの生活に戻るという感じではなさそうだなあと思う。2週間のあいだにゆるやかにシフトチェンジしたような感覚がある。それが具体的にどういうことなのかはわからないのだけど、なんだか不思議な気持ちでいる。

伊勢で体験したことは言葉にできるけれど、わたしを変えるのは言葉にならないなにかの積み重ねだ。「伊勢でこういう体験をしたからこう変わった」と、言葉で表現することはできても、実際の変化の要因はもっと別のところにあって、それは言葉にすることができない。

いまわたしは言葉に頼って、誰かとコミュニケーションしようとしているはずなのに、言葉はあまりにも自分から乖離している。

永遠に「本当」を共有できないもどかしさと、自分の体験や感情は誰からもおびやかされず、自分が生きているかぎり不滅なのだということを知る。永遠はないと思っていたけれど、言葉とわたしのあいだにあったのだ、と思う。

開かれ、閉じられている言葉を使いながら、ときにひとと交わり、ときに自分をなぐさめる。ひとが進んでいく軌跡は環のようだ。言葉を使い、そこから絵を描き、音を楽しみ、土を触り、(そしてときどき悩んで)、言葉に戻ってきたりする。そうやって行ったり来たりしているあいだにだんだん自分が形作られ、ふくらんでいく。一人一人ちがうその環のうつくしさを、照らせるようなものを作りたい。

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