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苦手なものは上書き保存~浅草と関西弁と~

私は、浅草と関西弁が苦手だ。

正確に言えば、浅草は苦手だった、という過去形になった。

なんで苦手なのか、といえば、嫌な思い出にリンクしてしまうから。
ただそれだけのこと。

ただ、ひょんなことから、浅草の苦手から脱却した。

すごく単純なことだけど、【上書き保存】できたのだ。

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浅草と関西弁が苦手なのは、同じ思い出に起因する。
すごく単純で、あるある過ぎると思うけど、元カレの住んでいた場所、元カレが関西人だったというだけ。

今も忘れられない、
とかそうゆうしみったれたものではなく、いわゆるモラハラ・デートDVで、単純に思い出すと、怖いのだ。

当時、浅草に住んでいた元カレに会うために、週に2,3回は浅草に降り立っていたと思う。

別れてからしばらくは、”街ですれ違ったら殺されるんじゃないか”という幻想に悩まされ、浅草は絶対に近寄らなかった。
別れた2日後には自宅を引っ越しをすることになっていたので、自分の家の周りは安心だけど、引っ越しまでの2日間は父に駅まで迎えに来てもらうくらい、恐怖心を抱いていた(駅で待ち伏せされて殺されるかもしれないという幻想。今思えば笑えるんだけど。笑)

私にとって浅草は、ただの元カレの居住地で、スカイツリーや浅草寺といったいわゆる観光コンテンツには全く結びつかないため、テレビや話題の中で浅草が出てきても全く害はなかった。

ただ、降り立つことができないエリア、という認識。

浅草は近寄らなければ害はない。

そんな日々から早4年。

この年末年始は読書漬けになろう!と決めていて(普段から比較的読書漬けなんだけど。笑)、親友と一緒にBOOK AND BEDに行こうと決めていたのだ。
ついでに浅草寺で初詣もしよう!

この時までは何にも思わなかった。

そして当日。
親友が遅れてくるというので先に浅草に降り立ち、チェックインまでの時間はカフェで時間をつぶそう~と思って浅草の駅から出て、思い出す。

ここは・・・浅草だ!(当たり前)

4年も経ち、自分の中で浅草=浅草寺、BOOK AND BEDという認識は持っていたけれど、降り立つその時まで苦手なエリアだったことをすっかり忘れていた。笑

どうしよう・・・帰ろうか・・・

と一瞬思ったものの、ふと気が付いた。

今まで思い出さなかったんだから、もういいんじゃない?

それはそうだ。

私の中で、無理に【浅草=元カレを思い出す場所】にする必要は全くなくて、【浅草=浅草寺での初詣、本を読める最高の空間】にすることは簡単。

親友にも

上書き保存すればいいんだよ


と言われて納得。

下調べてしたカフェで美味しいもの(和菓子好き)を食べ、

夜は食べログで評価の高かった居酒屋で馬刺しを食べ、

BOOK AND BEDで読書三昧して 、

翌朝は浅草寺へお参りしてから、浅草演芸ホールで落語を堪能。

なかなか粋なお正月を過ごし、すっかり浅草好きになった私。

当時、何十回と浅草に来たのに、浅草寺でお参りもしたことなかったし、落語を観れるとも思っていなかったし、今回はいかなかったけど歌舞伎まで観れるとは!

BOOK AND BEDはまた行きたくなる場所であって、私にとって、とっても素敵な街に上書き保存されたのでした。

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今回気づいたのは、「苦手だ」と意識をするばかりで、すべての物事を苦手なものにリンクさせてしまっていたということ。

いい加減、嫌な思い出からも解放されたい。


となると、次は関西弁だ。

この苦手意識は根強い。

関西弁というか、関西弁を話す男性が苦手。

2,3年前から、テレビや集団の中でも関西弁は大丈夫、だけど、二人しかいない場面になるのは100%無理である。

恋愛対象になる人とかどうとか関係なく、相手がおじさんでも先輩でも、どんな人であろうと、無理である。

そもそも、言葉が怖いのだ。

冗談抜きで、相手が笑い話をしながら頭をかく動作をした瞬間に、体がビクッと反応してしまう。(殴られる、と思ってしまう)
関西弁で怒っていたら、それは二人かどうかに関わらず、頭の中はフリーズする。

京都弁?は大丈夫。
どこのエリアの言葉なのか、性格的な問題なのかが私にはわからないのだけど、語調の強い感じ、喧嘩してるっぽい口調と言ったらよいのか…きつめの関西弁がとにかく怖い。

でも、これも思い込みなのかもしれない。

これまでも、素敵な浅草情報をたくさん得ていたと思うけれど、自分が浅草=嫌な思い出の場所としてしまっていたから、素敵な情報もすべて例外的な扱いをしてきてしまっていた。

関西弁も同じかもしれない。

関西弁を話す男性で暴力的な人は、1万人に1人くらいでしかなくって、たまたま私がハズレくじを引いただけ。
世の中のその他の人はみんな良い人かもしれない。
(そもそも関西弁じゃなくて暴力的な人もいるかもしれない)

「関西弁だから怖い思いをするかもしれない」という経験値だけで生きていったら、ずっと怖いままで、大勢の良い人を見過ごすことになってしまう。


そろそろ私も、ここから抜け出したい。


あえて今回これを書いたのは、コルクラボの人に関西弁を話す人が意外と多いなと思って。
これは私の「関西弁苦手アンテナ」が立っているから過剰に反応しているだけかもしれないけれど・・・

このままだと、関西弁を話すというだけで、勝手に苦手意識が発動し、良い人たちだとわかっているのに、相手に「私はあなたが苦手です」というメッセージを発信してしまうことになるんじゃないかと思って・・・

これまでも、きっといい人に出会っていたと思うんだけど、私の苦手意識が強すぎで、二人の場面になることを全力で避けてきたことと、予定外に二人きりになった時に(帰り道が一緒になったとか、エレベーターで2人になってしまったとか)最大限の気まずいオーラを出してしまっていた。

きっと、相手の良い場面に気づくチャンスも逃していたんだと思う。

たくさん、失礼な態度をとってきただろうなと振り返って反省するばかり。。


これはそろそろ、抜け出す時期という合図なのかもしれない。


コルクラボは、「安心・安全」のコミュニティであるならば、これは私にとって、上書き保存の最大のチャンスなのかもしれない。

私は関西弁を話す男性が現時点で苦手なだけであって、個人として相手のことを苦手だと思っているわけではなくって、できることなら払拭したいなと思っていて。

自己中心的かもしれないけれど、現段階で苦手であることは知っておいてもらった方が良いのかもしれないと思ってこれを書きました。

もしかしたら、アップデート途中でフリーズを起こして気まずい空気を醸し出すかもしれないけれど、嫌いじゃないんだとコルクラボの人にはわかってもらった上で、変な空気の時は「アップデート中」と思っていただけたらなと。

苦手なものはこればっかりではないと思うけれど、一つずつ良いものに上書き保存していけたら、今よりもっと生きやすくなるかもしれない。

そのために、ちょっとだけ誰かの助けを借りれたら。
そんな甘えで書いてみました。

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