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投げやりになるたびに、思い出すのは

頑張っても報われないとき、理解されたいのに伝わらないとき、思うようにいかないとき。

絶望的な気分になることがたくさんある。

そんな時つい、「全部なくなってしまえばいい」と思ってしまう。

うまくいかない人間関係は、全部切ってしてしまえ。
うまくいかない仕事は、全部投げ出してしまえ。
うまくいかない人生は、ここで終わらせてしまえ。

全部なくなったら、スッキリするんだ。

全部全部、なくなって、傷ついた私を見るがいい。

そんな投げやりな気持ちになるたびに思い出すのは、18歳の時に出会った宮井先生だ。

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宮井先生は、予備校のチューター。
一浪して早稲田に入った大学1年生。年齢は2歳しか変わらない。
眼鏡をかけていて、サイズの合わないスーツを着ていて、いつもボサボサの髪形をしていて、いつも眠そう。
ぼんやりとしているくせにズバズバと言う。

ハキハキと明るく話す他のチューターとは違う雰囲気で、決して話しやすいタイプではなかった。
でも、気に入られようとしない先生がなんとなく好きで、なんとなく懐いていた。
文系の担当チューターだったってこともあるけど。


私の両親は超学歴主義者だった。

中学に入学したとき、地元で一番の進学校の名前を挙げ、

「ここに入れなかったら家を出てってね。」

小学生の頃から90点台のテストを「詰めが甘い」と言われ、熱を出して臨んだ結果40点だったテストは両家の祖父母、叔父叔母、従兄弟にまで回されて「ゆかはバカだ」と笑い者にされた。

ナチュラルな脅しが日常生活に満ち溢れ、本気で追い出される恐怖感から、自然と勉強をして進学校に進んだ。


高校受験から解放され、私は野球部のマネージャーになって、ほとんど勉強をせずに高校3年生の夏を迎えた。

グサッとくる言葉を日常生活に織り交ぜる両親にうんざりして、典型的な反抗期の高校生だったと思う。

弱小野球部でも抱いていた儚い甲子園への夢は、県予選の一回戦であっさり断たれ、翌日から本腰をいれて受験勉強を開始した。

私は小学生の頃から、小学校の先生になりたいと語っていた。
その夢に対して、私の両親は特に文句は言わなかった。

高3夏の模試では偏差値40。
これでは志望校としてピックアップしていたどこの大学にも進学できない。
夏休みに突入した日から毎日14時間の受験勉強に真面目に取り組んだ。

小学校の教員免許が取れる私立の大学に目標を絞ってオープンキャンパスに参加し、立教大学を第一志望校に決めた。

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何が会話のきっかけだったのか。今ではよく覚えていない。

「私立なんてありえない。教師になるなら学芸大でしょう。」
「百歩譲って横浜国大。」

両親は「国立現役合格」以外は大学進学ではないという。
そういう母は、津田塾大学出身だ。

私は立教大学に行きたいのだ、と何度伝えても、母は認めてくれない。

今度は私が折れた。

「わかった、国立を目指すから、一浪覚悟で勉強させてほしい。」

それでも母は折れない。

「女の子のくせに、一浪なんて認めない。」

母親自身が、一浪をして東京外語大に行きたい、というのを同じように言われて渋々津田塾大学に通ったのだ。
そんなこと、私には一切関係ない。

父も母も研究者。
実力主義の現場に居ながら、組織の中では大学名が足を引っ張ったと思っているらしい。

仮にそうだとしても、私の夢は小学校の教員だ。
「私のため」を振りかざしながらも、押し付けられた両親の価値観を必死に跳ね返す。
努力してもなかなか成果が出ず、低空飛行を続ける成績を全く見ようとしない両親に、心の底からうんざりした。

私への期待感とは違う、親の要求の理不尽さに、何もかもが嫌になった。

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キレて家を飛び出した私が向かったのは予備校。

カウンターにいた宮井先生に言った。


「私、受験辞める。大学行かない。」


宮井先生は、パソコンから顔を上げてこう言った。


「いいんじゃない?」


引き止められると思った。
説得されると思ったら、まったく予想外の反応だった。

先生まで・・・悲しくなった。

宮井先生は、こう続けた。


「僕は、君がどんな選択をしても、君の人生を応援するよ。」


頭に上っていた血が、すっと引いた。
こみ上げた涙が違う意味になった。


「でも僕は、君が『小学校の先生になりたい』って笑って話していたのは嘘じゃなかったって思ってるよ。」


ひとしきり泣いて、私はそのまま自習室に向かった。

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あの時から14年。

何十回と投げやりな気持ちになった。

それでも、今の私がある 。


立教大学の合格を両親より先に宮井先生に連絡したのは秘密のこと。

「君は絶対に受かるって、思っていたよ。」

おめでとうと言わない先生が、好きだった。


何かにぶつかって、投げやりな気分になるたびに、先生のことを思い出す。

踏みとどまらなければいけないことを、気づかせてくれたあの経験のおかげで、私は今日も悩みながらも歩み続けられている。


宮井先生、お元気ですか。

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