なぜ自分と向き合った方がいいの?

自分と向き合うことは恥ずかしいがつきもの。


自分と向き合うって実はとっても恥ずかしいこと。

例えば外見なら、こんなにお肉がついてる!乾燥してる!垂れてる!なんて事実に直面しなければならないし、

内面になるともっと色々噴出してくる。

最初はね、いい子ちゃんなの。かっこつけなの。


自分は誰かのためにこんなことがしたいんだ!
自分のこんな経験を元に希望を与えたいんだ!


うんうん、一見とても美しい。


でも違う。


内面に潜れば潜るほど、見たくなかった自分と出会うことになる。



愛されたい!
甘えたい!
私のこと見てよ!話し聞いてよ!
こんなこと出来ないよ!
あれもこれも本当はやりたくない!
楽になりたい!
幸せになりたい!
あの人のせいだ!
私は悪くない!



出るわ出るわ、そんなこと言ってはいけないのだ、思ってはならないのだとフタを厳重に占めて出てこれないように何年も何十年も抑えてきた感情が。



最初に向き合うべきものはこれ。



恥ずかしくてたまらないと思う。

しょぼいしわがままだしね、

なりたかった理想の自分とやらからはかけ離れていることだろう。


でも、



それが自分なのだ。



嘘偽りない剥き出しの自分。

抑えられて置き去りにされていた自分の本当の姿。



自分を受け入れるって自分が封印してきた自分をちゃんと出してあげた上で、改めて受け入れるってことだよ。



なかったことになんか出来ないの。


そうし続ける限り苦しいままだ。



自分を否定し続けているのだから。



いやいや愛されたいのは人間の本能だよ〜とか、
みんな色々抱えてるよ〜とか、
インナーチャイルドってやつだよね〜知ってるよ〜


こんなことを言ったり思い浮かべて終わりにするな。


人間の本能とかみんなとか、知識として知ってるか?なんて話しをしてはいない。



本能やらみんなやら言い出した時点でひとつも自分事になってないよ。



逃げている。



ガッカリしたくないのはわかるし、
トラウマに向き合うのは怖い。



でも、自分を好きになりたいのなら、楽になりたいとか、心地よくいたいなら、



そしてインナーチャイルドやら、潜在意識やらの知識があったり、いろんなセミナーやワークショップに行ったりいろんなワークを知っているというのなら、



いい加減自分から逃げない。

向き合う覚悟を持って欲しい。




恥ずかしい自分をたっぷり見て、
自分のしょぼさも、さっぱり理想の人物になれていなかったことも受け止めて、

笑えるやら泣けるやら、いろんな感情を味わっていくと、



恥ずかしいと思っていたその自分がなんて愛情深かったのか、
しょぼいと思っていた自分が実は優しさの塊だったとか、

まるで世界が反転するように、今まで見えなかった世界が見え始めるの。


消したかった自分
醜かった自分
恥ずかしい自分
何もない自分
イタイ自分
出来ない自分


あらゆる自分が自分の一部で、

それは何ひとつ欠けることなく完璧で、


なんて愛おしいのか!と感動さえするようになる。



自分と向き合ったご褒美だ。



自分で良かった。


この自分のままで生きていて良かったんだ。


生まれてきたことに、生きてきたこれまでに心からの愛おしいと、安心が満ちる。




自分と向き合うことは恥ずかしかったり苦しかったりする。



けれど、



自分で在ることにこんなにも美しい安心感を感じることが出来るから、




やっぱり自分と向き合うことには価値があるんだよ💖



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