なんで自己肯定するの?


自分を好きになりたい
自信を持ちたい
幸せになりたい
自己肯定したい
自尊心を持ちたい

なんで?


そっちの方が心地よい、気持ちいい、嬉しいと〝感じている〟からだよ。

思考じゃないの。

感覚がそう言ってるんだよ。



そっちの方が〝快〟なのだと。



理由なんてそれで充分。


好きになろうと頑張るのではなくて、好きじゃないを手放す。


自信持とうとするんじゃなくて、自信が持てない自分をやめるだけ。

自己肯定をするのではなく、自己否定してる自分に気づきまるごと受け容れるだけ。



なんで好きじゃなかったのか、
なんで自信持てなかったのか
なんで自己否定してたのか?

これはほとんど人から与えられたもの。

自分由来のものじゃない。

だから〝不快〟なの。

だから〝快〟の状態に戻りたくなるの。

だから本来の自分に戻るとか、思い出すって言い方をするんだよ。




不快を実感しない限り、快はわからない。

つまり、

自分を嫌いなまま好きにはなれない
自信がないまま自信は持てない
自己否定に気づかない内は自己肯定は出来ない



だから直視することが必要なんだよ。




すっ飛ばしたらダメなの。




ちゃんと自分を見る



自分が自分を本当はどう思っているか?を感じるの。


こうだ!と思っているのを一回全部捨てて疑うの。


本当にそう思ってる?って。



意識していることと、無自覚無意識だったのもを一致させる。それが自分と向き合うってこと。

そして、感じていたことと(無意識)と
思ったこと(意識出来たこと)が一致するって

ものすごーく〝快感〟なの!


頭でどんなに素晴らしい言葉で自分を納得させても、正当化しても、この快感は得られない。

逆に言えば、どんなに素晴らしい知識や教えをもらっても、モヤモヤが残っているなら不一致。


自分のことわかってないよ。
わかったっぽいは得られる
好きになれてないよ。
好きになれたっぽくは感じる。

自信持ててないよ。



っぽいってだけ。
そこに安心しちゃうと堂々巡り。



また何かがあったり、何も変わってない自分に気づいて、本当に得たいものが得られてなくて、だからまた学んだり何かに参加したりして、◯◯になるための知識集め、スキルアップを図る。




外側にあるものじゃなくて内側の充足のためにやるんだよ。

変に思考を使わない。
こねくり回さない。
極シンプルにする。


色々理由を並べたてているならそれは答えじゃない。

答えはいつでも極シンプルになるはず!

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