幼児語は使わず、大人の言葉を子どもがわかるように話そう!
「ぶーぶ、わんわん、にゃんにゃん、ねんね…」などなど、小さい子どもが一生懸命お話しする姿はなんとも愛らしく、心が癒されます。
1歳くらいから「パパ」「ママ」など簡単な言葉を話し始め、1歳半くらいからどんどん言葉を覚えていく、2歳にでもなってくれば、「これ、ちょーだい」「わんわん、きた」など、少しずつ2つの言葉をつなげたり、3歳近くなれば、短い文章でコミュニケーションがとれるようになってきます。それでも4~5歳くらいまでは、音の序列が前後したり、どうしても言えない言葉があったり、微笑ましく、なかなか楽しいものです。
私の息子の場合、電車のホームアナウンスの真似で「白線のうちわがまで~」と言ったり、ねないこだーれだの絵本の中で、「それとも、どろぼう?!」というセリフを必ず「それとも、どぼろう?!」と言っていたなあと、今年、成人式を迎えた息子を見ながらなつかしく思い出しました。
私は、子どもが3歳を超えて、ある程度お話しができるようになってきたら、「幼児語では話しかけない」ようにしていました。
子どもが幼児語を使っても、間違った言い方をしていても、気にせず、私は大人に話す言葉と同じ言葉を使って、丁寧に言葉を尽くして説明していました。知らない言葉があったとしても、子どもは、話しの流れでコミュニケーションがとれることがほとんどです。それでもわからないと「それってどういうこと?」と聞いてきます。場合によっては、説明した言葉の中の言葉を拾って、「〇〇ってどういうこと?」と延々と「〇〇ってどういうこと?」攻撃が続くことになります。
これがなかなかいい私自身の頭のトレーニングになります。
相手の立場、状況を想像しながら、相手に伝わる言葉で伝わるように話すことは、意外と難しいことです。
時には、改めて辞書をひき、使い方や意味を再認識することもあります。
特に感情を表す言葉は、子ども自身が経験したことのない気持ちだったりすると、どんなに伝えてもわからないこともあり、例えば、こんな時に感じる気持ちかなぁと必死にケースを作り出したり、普通に話すより、多くの時間を費やすことになります。
それでもなぜ、私が幼児語ではなく、大人の言葉で話しかけていたのか。
一つは、知らない言葉を知り、意味がわかった時の子どもの嬉しそうな表情、そこから子どもの豊かな発想で話しが広がっていく時間、そして、スポンジのように、どんどん言葉を吸収していく姿をみるのが楽しかったから。
もう一つは、大人の言葉がわかることで、子どもが理解できる情報が増え、興味関心が広がっていくと考えたから。
幼児語でない会話をしていくと、そのうち、子どもは大人の言葉を聞きとることができるようになっていきます。
テレビ大好きな私の家では、食事の時もテレビがついているので、ニュースなど、子ども番組ではない番組も親子で見ます。
ニュースやドキュメンタリーなどでも、日頃から大人の言葉を聞きなれていると、小さな子どもでも、映像と一緒になることもあり、ある程度、内容がわかります。わからない内容は親が補足説明をしながら、見ていくことで、子どもの世界はどんどん広がっていきます。
ある程度、言葉がわかってくると、今度は「想像しながら読む」ということができるようになっていきます。
読めない漢字があったとしても、前後の言葉を見ながら、だいたいの文章の意味がわかるようになっていくので、今度は「読む」という行動から、世界が広がっていくのです。
息子は、小学2年生くらいから日経新聞を興味のあるところだけ見るようになっていました。最初は写真だけ、そのうち見出し、そして本文と、知りたいう気持ちから自然と新聞に向かっていったことで、世界が広がっていきました。
本も年間100冊は読んでいたでしょうか。何を読むかは子どもの自由。子ども自身が自分で選んで、読みたいものを読むことが大切なことだと考えていたので、漫画ももちろんOK。気づけば、息子は、私が知らないこと、知らない言葉もたくさん知っている大人になっていました。
言葉のシャワーを浴びてほしい、言葉習得の時期に親が使う言葉はとても大切。「大人の言葉を子どもがわかるように話す」というエンジンをかけるだけで、あとは子どもの柔らかい頭と心、好奇心が子どもの世界をどんどん広げて、自立自転で成長していってくれます。
一流の子育てを実践している人は、子どもが一定年齢になったら、幼児語は使わず、大人の言葉を子どもがわかるように話しています。
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