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橘の実 有料

2.男二人で雪見酒

 それ以来、万葉は三方沙弥に人目もはばからずまとわりついて、「橘の実が食べたいわ、取って持ってきて。あたしのおうちに」と毎日のように繰り返した。三方沙弥は橘の実をもって毎夜、園臣生羽そののおみいくは……万葉の父……の屋敷に訪れた。それは都中に広まり、やっぱり坊主になったとて、あいつは変わらんなと噂になった。三方沙弥は十戒を受けたのだが、そもそも女遊びが過ぎて「俺はもう枯れた。女はたくさんだ」と寺に逃げ込んだのだった。それでも、あんな童女にいれあげるとは堕ちたものだと笑い者になっていた。しかし、三方沙弥も好きでしているわけではなかった。朝は早くから修行して、昼はずっと万葉にまとわりつかれて、しょうがなしに通う。それでも、万葉は貪欲に何個も何個も実を欲しがる。今まで遊んだ経験を生かして、色々な性技テクニックをつくしてへとへとになって寺に帰り、やっと眠れると寝ころんだら毎日の修行だお勤めだと叩き起こされる毎日だった。
「これではかなわん」
 と、冬になり雪が美しいから見に来いと宴に誘われ、昔女遊びの手ほどきを受けた、ワルかった頃の仲間、藤原房前ふじわらのふささきにまで愚痴をこぼしていた。
「新雪(処女)を踏む(ヤル)のは駄目だなぁ。お前も良く知っていたことだろう。滅多にない事だろうと、美しかろうと、そのまま眺めている事だ(大殿の この廻りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ ゆめ寄るな 人や な踏みそね 雪は 巻一九・四二五一)」
「ああ、本当だ(ありつつも見したまはむぞ大殿のこの廻りの雪な踏みそね 巻十九・四二五一)」
 つくづくそう思う、との思いを込めて歌を詠んだ。
「それにしても、いつからお前は幼女趣味ロリコンになったんだ?」
 ふうっとため息をつきながら、酒をあおり三方沙弥は言い返した。
「あいつの見かけは童女だがな、夜は凄いぞ。俺ですら、腰が笑ってしまうくらいだからな」
「腰が笑う? おまえ、膝が笑うの間違いだろう」
「いや、腰が笑うんだと、万葉が言っていた。その通りだ。確かに、いい女だぞ。お前に譲りたいよ」
 藤原房前は笑ってお断りだと言った。
「いい女なのに譲りたいなんてそんなばかな話があるか。悪い女だから譲りたいんだろう。俺はごめんだな」
 確かに、と苦笑した三方沙弥はだがな、と繰り返した。
「夜の相手にするには最高だ。夜は大人の女も顔負けだ」
 藤原房前は大爆笑した。
「そうか。夜だけ大人なんだな。昼の万葉は本当にただの童女だ。夜だけ大人になってしまった童女か。やはりお前は幼女趣味だよ」
 むっつりと三方沙弥は黙り込んでしまった。
「昼のお前と万葉は本当にお似合いだ」
「もう言ってくれるな、頼むから」
 藤原房前はおかしくてたまらないと、どんどんと床を叩いて笑っていた。その向かいで三方沙弥は深い深いため息を吐いて酒を呷っていた。あまりにも哀れになってきたので慰めようと琴を藤原房前はつま弾いた。よい音が流れ、しんしんと静かな雪によく似合った。けほんけほんと三方沙弥は咳込んだ。
「どうした。琴は嫌いだったか」
「いや、むせただけだ。続けてくれ。俺は聞いていたい」
 琴の音が流れている中、三方沙弥はすうっと眠りに就いた。藤原房前はやれやれと衾を取って来させてかぶせてやった。
「俺の兄弟同然のこいつをここまでやつれさせるとは、末恐ろしい童女だ。万葉というのは」
 嘆息して、別の琴おんなを抱(つま弾)こうと部屋を移った藤原房前だった。

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