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橘の実 有料

5.梅見の宴

 園臣生羽が準備出来るだけの精一杯の最先端で高価な正装を身につけた万葉は、ぼんやりと佇んでいた。
 完全に壁の花と化している。
 あまりにも気がない素振りなので、普段は気軽に女性たちに声をかける連中も、ご機嫌伺いに声をかけることも憚られ、万葉はたった一人ぽつんと最先端で豪勢な料理を摘んでいた。
 食べる気だってしないのだが、することもないのだ。
 それに、さすがは天皇に献上するだけの品々で、見たことも聞いたこともないような品がズラリと並べられている。
 その中に、蘇という白いカスのようなモノがあった。
 乳を加工してできたという、当時最先端の豪族ですら手に入れることの難しい品ということだった。
 ほわん、と独特の香りが何かを思い出させるなぁ。
 思い出をたどるといつも三方沙弥に結びついてしまう。
 臭いのに好きなのね、と言った股の白い垢の香りにそっくりなのだ。
 三方沙弥は一番馨しいと、まるで犬のようにたっぷりと舐めとってくれた。
 その時のことを思い出すと、体がじわりと火照ってくる。
 食事に添えられていたお酒も手伝って、ふわりふわりとなんだか三方沙弥に抱かれているかのような感覚に陥る。
(早く帰りたい。自分で触って、一人で好きなだけイッて、眠りたい…)
 そんなことをぼんやりと思っている万葉が振りまく色気は凄まじく匂い立つようだった。
 文武天皇も挨拶を順番にこなしてやっと園臣生羽の娘、万葉を目に止めたところだった。
(なるほど。藤原房前殿の言ったとおり、艶っぽい…)
 興味を惹かれた文武天皇が万葉の目の前に来ても、万葉はぼんやりと妄想に浸っていた。
 それに気づいたあいさつ回りをしていた園臣生羽が飛んできて、万葉に平伏するように慌てて小声で叱りつけ、自分も平伏する。
 万葉はやっと気づいたというようにしっかりと文武天皇の目を見た。
 目を見つめられることの少ない立場にいる文武天皇は衝撃を受けた。
 夜伽の女ですら、このような目で私を見はしない。
 今すぐむしゃぶりついて、啼かせたい。今すぐに!
 それくらい飢えて乾いて、潤してほしいと、愛してほしいと、訴える女の目だった。
 文武天皇はヒュッと息を吸うと、絞りだすように祝いだ。
「天鈿女命の生まれ変わりのようだ。万葉といったね。閉じた岩戸も必ずや開くことでしょう」
 その文武天皇の言葉は万葉にとって、寺の閉ざされた門が開き、元気な姿で三方沙弥が自分の前に現れると予言されたも同然だった。
 目を潤ませて万葉は花が開いたかのように微笑み平伏した。
 まるで達した時のような、悦楽の表情だった。
 その笑顔を目にした文武天皇はもう我慢ができなかった。
 平伏した万葉の腕を取り、引っ立てるように足早に慣れた宮中を進んだ。
 行き交う仕人は驚きを隠せない。
 文武天皇が連れ込もうとしているあの女性は誰だ。
 そんな視線を感じても、宴はまだ中盤でまだ祝いでない仕人もいるのに、そんなものはどうでもよかった。
 神に仕える私が、ただの男としてこの女を抱きたいのだ。
 国に仕える士官を言祝ぐという仕事を放り出してでも、種をこの娘につけたい。それこそが、この国のための最優先事項だ。
 と、自分に言い訳をしてどんどんと宮中の限られた人間しか立ち入ることのできない域に入った。
 寝台がとても広い。帳がおりていて、とてもロマンチック。
 国の頂点の方の寝所になぜか連れ込まれた格好だ。
 ぼんやりと佇む万葉の目を覗き込み、文武天皇は手を引いてベッドに腰掛けさせた。
 隣に腰掛けた文武天皇は、そこでようやっと掴んでいた腕から手を離した。
 ぽーっとした万葉の様子にときめきを抑えられぬまま、文武天皇は言葉を絞り出した。
 欲望にかすれた声だった。
「…ぼーっとしているね。なにか、あったのかい?」
 低い、静かで優しい、欲望を抑えきれぬ男の声が、近くで聞こえる。
 その欲望を抑えきれない男の声は、三方沙弥に直結してオートマチックに体がじわりと反応してしまう。
 自分が求められている、とこういった男の声を聞いてわからぬ女はいない。
 三方沙弥と最後にしたのはいつだったろう。
 もうはるか昔のコトのように思える。
「…」
 うつむきがちにふるふると首を横に力なくふる万葉。
 この時代は歌垣で乱交するのが普通で、万葉のように一途にたった一人だけと決めるほうがどちらかと言うと珍しいタイプだった。
 首を横に振ったという、拒否の姿勢に文武天皇は驚きを隠せなかった。
(私に求められて、連れて来られたというのに…)
 匂い立つような色気ばかりに気を取られて、万葉の目に映らぬ自分の姿が口惜しかった。
 気を引きたくて、そっと口吻た。
 ぴくっと万葉の体が震え、閉ざされた唇がふわりと受け入れるかのようにわずかに開いた。
 そっと舌を差し入れると、おずおずと万葉が応えてくる。
 ちゅ、ぴちゅ、とキスを続けているとどんどん万葉が受け入れてくれる。
 久しぶりのことで、万葉はむさぼるようにキスに応えた。
 目を閉じたら、誰かはわからない。
「あ、気持ちいい、いいよう…」
 んは、はぷ、夢中になってキスをしている万葉の口元をよだれが垂れた。
「久しぶりだから、キスだけでとろけてきちゃった…」
 心の声がいつものように声に出して漏れてしまったようだ。

  続く

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