大切な人が旅立って、大切なものを知った一年。
今年の2月に私の大好きなおばあちゃんが亡くなった。しかも同じ月に2人とも亡くなった。
こんなことがあるのかと、何度も神様を恨んだ。
父方のおばあちゃんの葬儀が終わり、仕事復帰した7日後に母方のおばあちゃんが亡くなり、なんだか現実味がないまま、心が空っぽになるくらい泣いた。
でも悲しみと一緒に人の温かさをとても痛感した出来事でもあった。
すぐに帰りなさいとお休みを取らせてくれた職場、同じ方が良いだろうと、2回とも担当してくださった葬儀場のスタッフさん、そして参列していただいた方々。
父方のおばあちゃんを看取ってくれた老人ホームの方々。「温厚で優しいおばあちゃんでしたよ」と声をかけてくれて、最後に玄関先でスタッフ総出で送り出していただいたそう。
母方のおばあちゃんを看取ってくれた病院の方々。
看護婦さんがおばあちゃんのスカーフをお洒落に首に巻いてくれて、お見送りをしてくれたんだそう。
本当に感謝してもしきれない。
一人一人に「ありがとうございました」とお伝えしたい。
それから月日を重ねて、あっという間に12月。
あと数日で一年が終わろうとしている。
今年はなんだか色んな変化があった。
観葉植物を育て始めたり、本格的にコーヒーを淹れる為に勉強を始めたり、映像編集を再開したり。
どれも元々やってみたいと思っていたけど手を出してこなかったものだ。
始めたきっかけは大切な人が亡くなって時間の大切さを思い知らされたからだ。
人の人生はいつ終わるかわからない。
それなら始められることからどんどん挑戦しけば良い。
私はいろんな本やネットを使っていろんなことを学んで、やりたいことにたくさん挑戦した。
それから私は最近、物を買うことに慎重になった。
日用品や食べ物は別だけど、鞄やコート、スケジュール帳など、長く時間を共にするものは、しっくりきた物でない限り買わない。これでいっかは絶対にない。
これまで即決で買い物していたのになんでだろう。
優柔不断なのだろうか?我ながら面倒臭いやつだ。
でもそうじゃない。
その物と長い時間を過ごすということの意味を知ったからだ。
今年の2月に話は戻るが、おばあちゃんたちの持ち物を整理している時のこと。
洋服整理をしている時に見覚えのある服が出てきては「これおばあちゃんのお気に入りだったよね。」などと家族で話をしながら、長い時間をかけて服を整理した。
一つ一つの物に思い出が詰まっていてなかなか片付けられなかったけど、服を一つ畳むたびに、心に溜まった悲しみが、なんだか少しずつ流していくような感覚になる。
物を使えば使うほど思い出は増えていく。
いつか自分が亡くなった時……と言うと大袈裟だけど、月日が経っても、その物を手に取るたびに思い出が蘇るように、愛着が持てるものを持ち歩きたいのだ。
おかげさまで、私の周りには大切なものが増えていく。
鞄や靴、コーヒーカップなど、他にも色々。
来年もこの子達と時を刻んでいく。
来年は転職活動や、引越しなど、私の生活が少しずつ変わっていく予定だ。
忙しなくなるだろうけど、どうか私の大切な人達と、身の回りの大切な物たちに見守っていてほしい。
今この時間を懐かしく思う日が
きっといつか来るのだろう。
これからも日々を大切に過ごして行きたいと思う。
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