「二度と読みたくない」のはなぜ?
本はいつでも読むけれど、中には「二度と読みたくない」と感じるほど重たいシーンもある。
この問題は、ファンタジーでさえ、ときに起きる。あれは何年前だっただろう。ハリーポッターの4巻の終わり間際に出てくる重たいシーン。ファンタジーにしては珍しく、拒絶反応が起きた。
つい先日、この拒絶反応が起きたのは、いわゆるファンタジー小説ではない。私が普段、手に取らないジャンルの本だ。
ハードボイルド。なぜ私がこんな本を手に取ったのか、なんていう質問が飛んできてもおかしくない。彼がこのシリーズの映画を好んで観ているのを知っていて、気になってしまい、試しに読んでみた、というところだ。
これまで私が読んできた多くのストーリーでは、たとえ死体が次々に転がるミステリーだろうと、こんな拒絶反応は起きない。お気に入りの作家さんの本は児童書が多く、そこまで重たいと感じたこともない。
明らかに、そこには主人公が悲惨な状況に追い込まれているという前提が必要らしい。
ストーリー自体の構成はすばらしい。描写も細かくされていて、さすがにイギリスの作家さんだけある(ロシア政府に皮肉のネタにされるくらい、イギリスはつくり話大国であるし、実際にオックスフォードが世界一の文学の権威と言われている)。
展開がいい方向に進むのか、悪い方向に進むのかが予測できそうなくらい、典型的な流れに沿っている。一方で、実際に何が起きるのか、先を読みきるのは難しい。
そして、一番重要な点は、落ちるときはとことん落ちる、ということ。重たいシーンをどこまで重たく書けるか、という点で、非常に優れている。
二度と読みたくない、と思うのは、もちろんその表現で(私が女性にもかかわらず)敵を本当に嫌いになれるからだろう。
非常に勉強になるし、「読みたくない」と思うからこそ、書きたい者としては、読む意味があるのでは、と思ってしまう。
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