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あの日、成人式に行かなかった私へ。

2020年1月13日、令和初の成人の日。

街を着物姿の女性が歩く。彼女らとすれ違った人の表情が思わず緩む。その暖かい眼差しは、普段どちらかというとクールな印象の東京を変える力すらあると思う。(関西人の偏見)

とっくに成人式を終えた大人にとってはありがたい祝日である今日、こんなツイートを見かけた。RADWIMPSの野田洋次郎さんのツイートだ。

読んだ時思わず「あっ」と声が出そうになった。
実は私も、成人式には行かなかったから。

着物姿の女性たちを見てただ微笑ましく思っていても、文章は時として潔く人の胸を刺す。

「そうだー私も成人式行かなかったんだった・・・」


成人を迎える4年ほど前、高校2年生になるタイミングで私は転校した。
父の転勤で2年前に来たばかりの横浜から、また転勤で神戸へと移り住んだ。

横浜と神戸。海がありよく似ていると言われるこの2都市だが、あくまで文化は「東」と「西」で当然完全に異なる。両親が関西人とはいえ、関西で生まれ育っていなかった私は神戸に馴染むのにちょっと時間がかかった。

例えば、「教科書を”なおしなさい”」と先生に言われ、教科書を??どうなおすんだ??と戸惑っていると、生徒みなが教科書を机の中にしまうのを見て慌てて真似をした。両親が姫路出身だと告げると「播州弁を喋るなよ〜」と先生にからかわれた(悪気はなかったと思いたい)。ちょっとした言葉の違い、習慣の違い、文化の違い。大げさだが、少しの出来事が自分と周りが「違う」ということを見せつけてくるようだった。「私は所詮関西人じゃないから・・」とひねくれたり、「親が関西人だったからよかったけど、東西を跨ぐ転校生は大変だろうなあ」と勝手に想像を膨らませて、見知らぬ誰かに思いを馳せたりした。

私が専攻したのは英語コースだったが、1クラスしかないため3年次のクラス替えがなく、同じメンバーで2年間を過ごした。大学受験はなんとか乗り切り、無事に卒業した。

大学に入学して2年目、15年前の私は20歳になった。

当時は実家から大学に通いながら、高校時代の友達に誘われスーパーでアルバイトをしていた。彼女は進学せずにそのスーパーで働いていて、大人たちから絶大な信用を受けてテキパキと働く彼女は今思い出してもとてもしっかりした女性だったと思う。そんな彼女が私に言った。

「成人式、行かへんの?」

ここのスーパーのシフトは曜日固定で、月曜シフトに入っていた私は成人式に出るためには別途休む(か時間をずらす)申請が必要だった。申請をしていなかった私を、彼女は心配してくれたのである。

「うん、行かない」

本当のところ、ちょっと迷っていた。高校時代の友人と、私と同じエリアに住んでいる大学の友人、彼らは成人式に行くだろう。でも私には「幼馴染」「小学校・中学校の友達」が成人式にいないのである。これはなかなかに厳しい現実だった。友人らが私とは別の繋がりの方へと行ってしまったら・・・。やっぱり行くという選択肢を取る勇気はなかった。着物姿で笑顔をなんとか作ろうとしている自分が、ありありと想像できてしまったから。


両親とは成人式についてどう話したか、実はあまり思い出せない。が、おそらく一度は「私は成人式には行かない」とはっきり母親に言ったような気がする。そして私が覚えていないということはきっと母親も強く私に行くことを強制しなかったんだろうと思う(小言くらいは言ったかもしれないが)。

その後もたまに成人式の話題が出るたびにちょっとだけ複雑な気持ちになった。


野田洋次郎さんのツイートを見たとき、いろんな感情がぶあっと胸に込み上げてきた。

「ああ、私もこんな風に言ってあげられる人になりたい」

そう思った。

日常は、世界は、いろんな人のいろんな都合の常識がグサグサと刺さってきて、勝手に私は傷ついたり考え込んだりする。面倒な性格だなと思うが、私も絶対に「えー?行かないの?」と相手に言ったりして、常識を振りかざす側に回ったことがあるはずだ。
不用意に傷つけていたとしたら、なんて恥ずかしくて申し訳ないことだろう。
多様化する社会で、自分もしなやかな考えを持つ人間でありたい。


あの日成人式に行かなかった私、成人おめでとう。
複雑な気持ちでレジ打ちをしている自分を想像するとちょっと切なくなるけれど、そんな私もなんとか社会人として頑張っているよ。

今日成人式に行かなかったみなさんも、成人の日おめでとう。行ったみなさんも、おめでとう。
18歳のみなさんも、20歳のみなさんも、心からおめでとう。


祖母が譲ってくれた着物は、実家に置いたままだ。近いうちに着よう。そう思っている。


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