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転校生だった頃(幼稚園〜小学校編)

私はいろんなところで自分が転校生だったことを声高に話している。それだけ自分のアイデンティティであり、認めて欲しい部分なのだろうと思う。35年生きても未だに燻っている気持ちを今日はここに吐き出してしまいたい。転校経験がある人に読んでもらえたら嬉しいし、ない人にもぜひ感想を聞かせて欲しいと思っている。

私が転校したのは、「年長になる時」「中学3年になる時」「高校3年になる時」だ。小学校は6年間同じところに通ったので、転校生界隈からは顰蹙を買うかもしれない・・・が、中高を2校ずつ行っているのはなかなかではないのか?と自分で勝手に自惚れている(争うところではないのだが・・)

最初の転校経験は広島県にいた頃で「年長になる時」なのだが、実はその前に一度引っ越しを経験している。理由は忘れたが、同じ地域内で引っ越しをしたのだ。幼稚園はそのまま同じところに通ったが、通園ルートが変わったためそれまで一緒に通園していた友達とは朝会えなくなり、通園パターンごとにバッジがあってその種類も変わった。記憶とは不思議なもので、新しいバッジが「紫色で三角の形」だったことを私は覚えている。バッジが変わったことがそんなにショックだったのだろうか。マンションの近くにあった急な坂道も、もみじ饅頭の工場からする甘い香りも。人生を彩る大切な記憶だ。

引っ越した場所にも慣れた頃、広島から米子(鳥取県)へ引っ越すことになった。覚えていないが私は嫌だ嫌だと泣いたらしい。近所のいじめっ子と離れられることだけは嬉しくて覚えていたのだが、引っ越しの挨拶をした時、そのいじめっ子の彼はなんだか複雑そうな顔をしていた。「はて?」と思っていたが、今思うと甘酸っぱい。親からも「あの子、とても寂しがってたあわよ」と聞いた。でも本当に意地悪だったので私はムカついてたよ!そんな彼もきっと幸せに暮らしていることでしょう。妹はもう生まれていたけれど、当時2歳くらいなので覚えていないだろう。

さてそんなこんなで初めてやってきた米子市。鳥取県の中では実は都会エリア。なので特段自分としては不自由なく過ごすことができた。母親はペーパードライバーなので、何かあれば父が車を出せるタイミングにやっていた気がするけれど、父はなかなかのハードワーカーだったので子ども二人抱えて母は大変だったろうなあ・・と今になって思う。ストレス半端なさそう。大人になると見える景色が変わる・・・母よ、ありがとう。

年長時代は特に嫌な思い出はない。記憶がないと言った方が正しいかもしれない。私が初日暗い顔をしていたせいか先生が「どうしたの?えらいの?」と聞かれて「えらい」の意味がわからなかったが、「しんどいの?」という意味だったらしい。転校生には是非とも標準語を使っていただきたいものである(←まさに偉そう)。

年長から住み始めたおかげか、小学校では特に問題なく過ごすことができた(いや実際には友達とケンカしたり陰口の順番が回ってきたり色々あったけども)。両親ともに生粋の関西人なので、少し言葉については「訛ってる」みたいなことは言われたかなあ。しかし関西で生まれ育たなかったせいか、私の関西弁は完全に中途半端・・・これもまた拗らせる原因の一つとなった(拗らせたのはもちろん自分です)。

小学校は長期間覚えている最初の記憶が作られる場所。原体験に近いのではないかな、と思う。鳥取県は東北ほどではないけれどお米や農作物がたくさん作られている。山と海があり、町には田んぼや畑が普通に存在している。畦道を実際に歩いた記憶は大切な思い出の一つだ。とても幅広く感じたけど、今見るときっと細い道なんだろう。なんと私が通っていた小学校では田んぼを借りて毎年学生が田植え、稲刈り、脱穀まで行っていた。1年生からやる(稲刈りは1年生はさすがにやっていないと思うが・・)。アメンボやカエルだらけの田んぼに足を入れるのは本当に嫌だった・・・でも途中から慣れて「またこの季節かー」という感じだった。慣れってすごい。背が低いので最初は刈った稲を道路に引きずりながら持ってしまい「これでいいのか?」と疑問に思っていた。

途中、私のクラスにも転校生が来た。年長の時の記憶があったので、私は積極的に話しかけた。おとなしいタイプの髪が綺麗な女の子。小学生での転校、まだ全然子ども時代なので大変だと思う。彼女の胸の内を聞くことはついになかったが、私はその後中学生になってから転校を改めて経験することとなり、彼女のことを想像すると胸がチクチクする。全く何もない、ということはなかったと思うから。

小学校ってなんで6年間もあるんだろう?と実は今も疑問だ(ろくに調べてはいないが)。過疎地域であればクラス替えも少ない。6年間も同じコミュニティにいるって大変なことだ。転校生はいじめと隣り合わせだし、当事者になるケースは本当に多いと思う。いじめ、本当になくならないかな・・・。高等な教育よりも、いじめをなくすことの方が難しい。

話を戻して、賛否あるだろうがいわゆる「田舎」で過ごしたことを、私はとても良いことだったと思っている。人がそんなにいなくて、こじんまりとしていて、車や一軒家がメインで、みんなおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいる(私の家は転勤族だから核家族暮らしだけど)。そういう家庭を、自分とは違う暮らしを見ることができたのは、私の目線や視野を豊かにしてくれたと思うからだ。

田舎の時間の流れは本当に大都会とは違っていて、家族同士の繋がりも良くも悪くも濃いし、小学校の行事も本当に気合が入っている。なんせ田んぼを借りているくらいなので、稲刈り田植えだけでなく、各クラスで「かかし」を作ってコンテストをしたり、お米に関する絵や作文を書くコンクールがあったり、本当に貴重な体験ができた。親も知らないことを、私はやらせてもらえたのだ。これは転勤族一家ならではかもしれない。

さて、そんな呑気に暮らしていた私も、中学2年生の終わりに両親からついに「ここを引っ越して、東京に行く」と告げられる事になる。住んだ先は大都会、横浜。初めての自動改札機、中高で2度の転校、編入試験編、拗らせてmixiに転校生コミュニティを作るなど、様々なことをやらかしたのでした。

長くなってしまったので中・高編はまた次回の記事に書きます。今回はあまり転校生らしい話はなくて詐欺ってしまいごめんなさい。次回こそ濃いです!読んでくださりありがとうございました。




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