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短歌の推敲がわからなすぎて沼 その2! と短歌について思うこと。


この記事は前回の↓からの続きになります。

「逃げ水を追いかけることいのちのいみを探すこと美しき過程」

これが↓↓

「逃げ水のずもつかめずにかえりみちゆだるじめんに海老がたのいし」

になった過程、
要は自作の短歌を推敲した流れを
記事にしたものです。
短歌をさくさく作れる方向けではありません〜


書き始めたらだいぶ長くなってしまったので
最後の4稿めだけ分割しました。

それだけだとあっけないので
最後に最近短歌について思ってることも
つれづれ書いてみます。


第4稿:社会と違う価値観を持ち込んでみる

これでやっと最後です

逃げ水のずもつかめずにかえりみちゆだるじめんに海老がたのいし


短歌では、
社会で価値のあるものと
ものの価値が逆転する、
というのがあるらしいです。

ここは、わたしの言葉ではうまく説明ができないので
少し引用をすると
穂村弘さんが著書『はじめての短歌』の中で、

詩や短歌には、詩や短歌の価値観、言い分というものがあってね。

穂村弘/河出書房新社「はじめての短歌」より

と書いています。
本の中では、

【私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない(田中有芽子)】

という短歌に対するコメントをしながら、
短歌における価値観について述べていました。
要点としては、

会社、部長にとっては、部下に
「私、日本狼アレルギーかもしれないんです」と
突然、まあ雑談ムードの中であったとしても、
言われたとしたら、この子大丈夫か?
って思われてしまうこと間違いなしで、
かつ時間のロスになるから取り合わないよね、

ということを言います。
その上で、

詩や短歌では日本狼がいなくなってしまったのは、
部長たちがとりつかれてる資本主義なシステムに
淘汰されたからで極端なことを言うと、
犬や猫もそのうち消えてしまうかもしれない
そんな一般的に言ったら余計すぎるかもしれない
不安の投げかけが大事だよ、

って言ってます。
それを思い浮かべながら、
3稿の短歌を読んでみると、
社会で良いとされてるものに迎合して
短歌の価値観がぺらぺら
かも
と言う気づきがありました。

たとえば、友達との会話で
"辛いこともあったけど振り返るとたのしかったよ"
っていうのは、ぜんぜんふつうなんですよね。

で、「まぶしさめまいのみこみ軽し」(3稿の下の句)

っていうのはそんな社会のふつうを
ただちょっといい感じに言い換えてるレベルでした。

そこに、なんとなく頭に浮かんだ海老を
ぶち込んでみたんですが、
異様に悪くない気がしました。
(異様にってなんだ??)

仕事で無駄な作業をしてしまった、
と少し肩を落として帰る道に
海老のような形をした石がたとえあっても
見過ごしてしまうし、
もし見つけたとしてもそれが希望になることは
ぜったいにないと思う。

穂村さんの言葉に照らすと
むしろこれがいいんだと思います(たぶん)。

あとは、ピックアップ時点の時間帯と
追いかける間のそれなりの時間経過があるので
それを踏まえて
「ゆだる地面」でなんとなく
あてていたのですが、
海老を入れたことで茹だると海老の掛け算が
意図せず、そこに浮上しているところは
隠し味です。


最後に画像付きで。

鶴丸国永の夏 夏掛けのコピーのコピー



さいごに:短歌つれづれ

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

短歌がむずかしいなあと思いながら
でもなぜかふと5・7・5・7・7を
考えてしまう自分がいます。

特に、4稿で挙げているところの
「短歌の価値観」は
穂村弘さんの書籍から引いてきて分かったふうに
書いていますが、ぶっちゃけぜんぜんです。

海老の形の石が、短歌にとっての価値、
をもっているのかなんてわかりません。

でも、「短歌の正解」を求めてると
たぶん疲れちゃうんですよね。

同じお題でも詠み手によって、
ぜんぜん違う31音が現れるのが短歌で
そこに10人の読み手がいれば、
1首あたり10通りの感じ方があると思います。

経験してきたもの、触れてきたもの、
好きなもの・嫌いなもの
が違うから、
自ずと31音の捉え方は違ってくる。
いいねと思う人もいれば
素通りしてしまう人もいる。

「この短歌はいいものです」と
事前に提示されれば
たとえばこの人は有名な歌人の方です
という肩書きとかね、
少し止まってみてみようかなと思ってくれる人が
ぐんと増えるのかもしれません。

でもそんなもの持ち合わせていないんです。

野球なら、たくさん素振りすれば、
本番でうまくバットが振れてすごいヒットが打てたり
ヒットがたくさん打ててチームに貢献したら
いい選手、ということになりますね。

短歌はなあ。

すごいヒットを打つのが正解ということでも
ない気がします。

希望的観測かもしれませんが。

でも、読み手がいろんなとらえ方をしてくれる、
前提にたつと
やっぱりどこで、すごく共感してくれる人に会うか
わからないわけで。

凡打でも、
もしくは高ーく打ち上げただけの当たりでも
いいかもしれないし。

推敲のプロセスをまとめてみたのも、
自分の短歌の良し悪しが結局わからないな、
と思ったからなのですが。

せめて、
こう考えて、こうなった。
みたいなものを残しておけば、
もしかしてもしかしたら
このまとめを読んでくれたどなたかが、
この工程に違和感があります、
みたいなことを言ってくれるかも?
と、淡い期待を込めてる部分もあります。

とはいえ、正解にたどり着きたいわけでもなくて。
短歌むずかしいっていいながら
模索するのがたのしいわけですね。

たのしいんですよね。結局。
じゃなきゃまとまらない5音に、
日に2時間も3時間もかけないし
寝かせて、読み返して
ちょっと直して
寝かして、読み返して
直しても直しても良くならないことに落胆して
1つの短歌に4日とか?かじりつかないです。


まずは、
練習とかたくさん作品を作ってみること
辞書を引き、歌集を読みボキャブラを増やすこと
自分でやれることはやってみたいと思います。

ああ、そう。
noteの短歌サークルとかにも興味あるので
そのうち覗いてみたい。

では、最後までありがとうございました!!

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