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流れ星

ぼくは、自然と夜空を眺めていた。
初めは確か、高校2年、コロナ禍が始まった3月の末くらいだっただろうか。漠然とした恐怖と不安に飲み込まれ、それは夜に大きく、強くなり、やがてぼくを消そうとしてきた。ぼくはただひたすらに夜空を眺め、夜明けを待った。翌る日もまた翌る日も、待ち続けた。明るくなっても明けない夜は、ぼくを蝕んだ。そのまま夜の闇に吸い込まれて消えて仕舞えばいいとさえ思っていた。それすらできずに太陽が出て、夜の暗さは増していった。それほどに孤独で寂しく、冷たい時間だった。
深夜1時半、たまたま置いてあった古いウォークマンが目に留まった。有線で、インターネットに繋がらなくて、ボタン操作の、幼い頃からたからもので唯一の友達のようだった、それすらも忘れていた。久しぶりに電源を入れたらラジオがついた。どこかで聞いたことのある声の人が、お便りに素晴らしい、とまるで自分自身を褒めるように話していた。この人も、きっと、夜にいる人なのだろうか。こんなに、どこかで聞いたことのある、希望を歌い続ける人でさえ同じ夜を過ごしているのかと、共感と似ても似つかない、ただ近くにいるその存在が、ぼくの消えそうな命を繋いでくれた。泣きながら聞いた。星野源との出会いだった。オールナイトニッポンとの出会いだった。
それから夜は、空を眺めながらラジオを聴いてやり過ごすのがぼくの生き延びる方法となっていった。
ある日は星野源が、またある日は菅田将暉が、ぼくの夜の番人だった。
いくつか鮮明に覚えている夜がある。ある時は米津玄師がアルバムを出す時に下界に降りてきていた。またある時は、星野源がBLMについて話し、政治について話し、たまに弱音を見せた。
今でもふっと、降りてくるように思い出すことがある。夏になると、米津玄師の曲が頭に出てくるし、星野源のドラマが再生される。決まって流星群の日で、流れ星を心待ちにして聞いていた。それが今日だった。

ここ最近は、少し前までまた夜のターンであり、無色の暗闇が広がっていた。今は藍の世界にいる。それでも半年くらい、忘れていた。夜空を眺め続けることすらできなくなっていたのかもしれない。
今日、たまたま流星群の日であると聞いた。数々の夜を思い出した。久々に見てみないか。
今回は板橋ハウスに番人をしてもらった。
久々に見た夜空は、言葉には表せないくらい綺麗だった。流れ星が流れるたび、ぼくの心は色づいていった。あの時、死ななくてよかった。もう、死にたくない。そう思わせるほど綺麗だった。

夜は、あけなくてもいい。暗闇にも、ひかりがある。それを教えてくれている気がする。

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