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「95%乳がん」というプレ告知

2018年9月13日に年に一度の人間ドックへ。サラリーマンだった頃は会社が(ほぼ)全額負担してくれるし、ちょっとセレブ風なところで、ということで六本木のミッドタウンクリニックで受診していました。3年前に独立してからは、全額自己負担になったので、自宅近くのこじんまりしたクリニックで人間ドックを受けることに。毎年夏休みが終わった頃に受診すると決めているので、今年も予約を入れていました。

一通り終わった後、最後が乳腺科の検診。マンモとエコーで検査したのですが、エコーが結構長くて、「あー、これはまた何か引っかかるパターンかな」と思っていました。

人間ドックの結果がわかるのは約2週間後ということでしたが、検査から1週間を過ぎた頃にクリニックから携帯に電話が。「マンモの検査結果に所見が見られるので、早めに乳腺科を受診してください」と言われました。今までも何度か乳がん検診では引っ掛かっていて、生体検査も2回受けたことがあるのですが、電話がかかってきたのは初めて。「うーん、今回は深刻なのかな・・・」と少し不安にはなっていました。早めに再検査と言われながらも、乳腺科の先生が空いているのが10/5しかないということで、10/5の午前中に予約。

10/5のアポまで2週間ほどあったのですが、その間はいつも通りにバタバタと過ごしていたと記憶しています。ただ、頭の片隅では、「ひょっとしたら今回はダメかもなー」と、最悪の事態を考えていたことも確か。

10/5の朝。毎年診察してもらっている乳腺科の先生の前に座ると、「うーん、今回のはちょっと怪しんだよねー。」と言われました。前年も念のため生体検査をしていたので、「去年とは違うところですか?」と聞いたら、「去年のこの石灰化のところが大きくなったのかな」みたいな事を言われました。いづれにしても、去年のエコーには写っていなかったしこりがあって、その形からして画像所見上はガンだ、と言われました。「えーーー、そうなんですか。ちなみに、入院は何日間ですか?」と、いきなり手術の話に飛ぶ私・・・。

以下、先生との会話。
先生: 「切るだけなら1週間くらいで、再建もするとなると10日くらいかな。」
私:「わかりました。全摘で構わないので、そのまま再建もお願いしたいです。」
先生:「しこりは1.2cmくらいだから、温存でもいけるかもよ。周りに石灰化があるから、それをどう判断するかにもよるけど」
私:「いえ、再発の危険がいやなので、全摘で良いです。ちなみに、再発率ってどれくらいですか?」
先生:「平均したら20%くらいかな。でも今の段階だとステージ1だから、ステージ1だったら5年生存率はほぼ100%だよ。」
私:「いや、5年とかの話じゃないんでっ!もう少し生きさせてください!ちなみに、抗がん剤って副作用ありますよね?吐き気とか脱毛ですかね?」
先生:「まだ抗がん剤治療をするかどうかもわからないけどね。乳がんの抗がん剤は吐き気はそれほど強くないけど、髪の毛は抜けるよね。」
私「まじっすかー。いやだな。」
先生:「髪の毛は少しの間抜けるけど、また生えてくるから!短期間の辛抱だよ。」
私:「おしゃれなウィッグを探しておきます。」
先生:「2週間後に詳しい結果が出るんだけど、95%悪性だと思うから、手術することになる病院の予約も入れておいたら?結果出てから予約すると、ずいぶん先になるよ。もしも良性だったらキャンセルすれば良いんだから。」

ということで、先生に乳がんで実績のある複数の病院を教えてもらい(昭和大学付属病院や聖路加病院など)、病院のホームページや乳がん手術の実績などを確認し、比較的近所の病院にその日に予約を入れました。通院のことも考えると、あまり遠い病院はおすすめしないそうです。

今思い返してみても、比較的冷静に先生の話を聞いてたなー、と思います。先生が「悪性の可能性が高い。」と言った瞬間、横で聞いていた看護師さんが、私の背中をさすってくれていたのですが「いや、別にそれは必要ないかもー。」と考える(失礼!)余裕すらありました。もちろん大きなショックだったことは間違いないですが、「そうか、乳がんか。じゃあ、どうやって対処すれば良いんだろう。」という気持ちに、すでにその時になっていたのかと思います。

「95%乳がん」と言われたその日は、午後からいくつか予定をこなし、夜の知人との食事会も終えて21:00過ぎに帰宅。先に帰宅していた夫に「今日、乳腺科の先生に診てもらったんだけど、ほぼ間違いなく乳がんだって」と言ったら「ええっ?まじで?」と最初は大きな声で驚いていましたが、その後はすぐにいつもの冷静な夫に戻っていました。父親をガンで亡くしている彼の方が、耐性があるのかも知れません。夫は、「ガン治療は本当に進んでいるから、心配しなくて良い。他の慢性的な病気と一緒で、上手く付き合っていくしかない。俺も息子もサポートするから絶対に大丈夫だよ」と励ましてくれました。夫が冷静な男で、本当に良かった!と思います。ここで動揺されたら、私の方が泣きたくなる・・・。

夫は翌日からバイク仲間とキャンプに旅立ってしまったし(薄情者!と一瞬思ったのですが、ずっと前から予定されていたキャンプだし、この段階で特に彼にして欲しいこともなかったので)、小6息子(この時点では何も知らない)は塾があったので、「95%乳がん」告知の翌日から、私だけ予定がない3連休でした。その間、少しずつ「乳がんに罹患した」という現実に実感が湧いてきて、不安や心配がたくさんよぎるようになったのも事実です。同時に、病気に向き合うためには正しい情報が必要ということで、がんにまつわる本を5冊ほど購入して読み始めました。「大丈夫!」という気持ちと「数年後にどうなっているかわからない。」という不安が交互にやってきて、「死」というものが今までよりもひどく身近に感じられ、気持ちが不安定だったのを覚えています。

あともう一つ、「両親にどうやって伝えよう。母親が動揺して、取り乱す姿が眼に浮かぶ・・・」という心配がずーーっと心に重くのしかかっていました。本当はすぐに伝えようと思っていたのですが、もう少し具体的に決まってからの方が彼らの精神安定上良いだろう、ということでまずは生体検査の詳しい結果が出るまではおあずけ。

今思えば、「95%乳がん」告知からの1週間は、本当に毎日が長くて長くて、「まだ月曜日」「まだ火曜日」という感じで、日々を過ごしていました。仕事は普通にしていたし、普段と変わらない日常だったにも関わらず、あの時間の流れの遅さはなんだったんだろう・・・。あっという間に1週間が過ぎることに慣れすぎていた私には、なんだか全く別の生活を与えられたような感覚でした。検査結果が出るまでに乳がん関連の本やウェブサイトはチェックして、乳がんと一口で言っても、がんのタイプが複数あること。タイプによって治療方法が違うこと、術後の付き合いが長いのが乳がんの特徴であること、などなど、基本的なことはこの期間に理解できました。

生活の変化で言えば、乳がんがわかってから、夫との会話がものすごく多くなりました。それまでは毎日バタバタで、目を見ないで簡単に会話することもあったのですが、病気が発覚してからは、より丁寧に相手に接するようになったと思います。それは、同情とか気を使うとかではなくて、改めて大切なものに気づいた結果だな、と今になって思います。95%乳がんと言われた数日後に、夫と二人で近所のレストランに行った時、ゆっくり会話しながら食事をしている時間が本当に大切に感じたのを覚えています。病気になるまでそんなことにも気づけなかった自分を情けなくも感じましたが、いわゆる「ギフト」を受け取ったのかも思いました。(もちろん、がんにならずに気づく方が100万倍良いです!)

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