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私の妹は、5歳年下だ。その妹の前に生まれた妹のときは、自分がまだ小さかったこともあり(と言っても、その時はそんなことは考えていなかったが)、「おめでとう、かわいいね」と言われる赤ちゃんに対する焼きもちから、出産祝いの品をゴミ箱に捨てたり(☜かなり悪い!屈折した子ども!)、なんとなくライバル心を持っていた感覚は残っている。しかし、その子が夭逝したため、数年後に生まれてきたのが、今の妹だ。

自分から欲しい欲しいと希望して生まれてきた妹だったため、(本当は弟が欲しかったのだが、それはさておき)生まれてきた途端から、かわいかった。目がくりっとして、髪もくりくり。むっちりとした身体つきも抜群にかわいい赤ちゃんだと思った。哺乳瓶でミルクを飲ませるのも、かって出て、いつもそばにくっついていた。

幼稚園に通い始めると、砂場に座り込んでカチカチの砂団子を作っている、何事もゆっくりした、口数の少ない子だった。私と一緒にいるときは、いつもうしろにくっついていて、2人でいただき物をした際には、どっちがいい?とたずねると、どっちでもいい。どれがいい?と聞くと、ふつう。おままごとでは、「あかちゃん」か「いぬ」という役で、オギャーオギャー、ワンワン、というセリフだけをずっとやってくれた。

妹が小学校1年生になったとき、私は6年生だった。同じ制服を着て、赤ちゃんのような妹を連れて学校に通うのが、心から嬉しかった。友だちは、妹?かわいい!と言ってくれるし、ゆっくりした性格の割には、運動会で徒競走を走らせると、クラス1番だった。ずっとビリにしかなったことのなかった私にとっては、まさに自慢の妹だった。

それからも、かわいくて、おっとりした性格、でも運動神経抜群、という、(☜あくまでも妹贔屓の姉から見た、ではあるが)立ち位置は変わらず、彼女の大学進学、就職となると、必要以上に口出しして、応援しまくった。そういう姉をうるさがらず、邪魔にもせず、好きなようにやらせてくれていた妹は、本当にいい人だと思う。

結婚式は、泣いた。これからは、この人と生きていくんだ、と、きれいなお嫁さんになった妹を見ながら、この人誰?というくらい泣いて、ご主人には、絶対に幸せにしてやってください、よろしくお願いします、バトンタッチしますから、というようなことを言った記憶がある。それから、すぐに、これまたかわいい子どもたちに恵まれ、しっかり者の(私から見ると)理想的なお母さんになった。理想的な妻かどうかは、ノーコメント。

大きな喧嘩をした記憶も無い。親に怒られていじけていれば、ああ言ってるけどさ、と頼まれてもいないのに、味方気分で応援した。それが、私の役割であると思い込んで。私とは、見かけもだいぶん違って、性格は全く違う。そんな妹が、かわいい。何かあれば、私が守る、と。

この新型コロナウィルスのパンデミックに際し、世界的歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラル氏は言っている。人々の恐れるべきは、ウイルスそのものよりも、それに対する恐怖心から起こってくる人間同士の信頼の欠如、「自分が第一」になることによって、協調的な思考や行動がとれなくなることだ。

人が、ごくごく小さなことがきっかけで、それまでの信頼関係を根底から覆すような行動をとってしまうような状況になっている。(状況を言い訳にするのもどうだか、ではあるが、原因はそこにありそうなので。)そのような中、生真面目で、几帳面、人に優しくて、楽観的な、妹の心が傷つけられた。本人は、大丈夫だいじょうぶ、と。幸せな家庭を持ち、私の出る幕ではないのは承知だが、せめて心の中だけでも、私は妹の味方で、絶対に守る、と呟かせてほしい。

本件、これにて終了。


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