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第百三十七話:ルトフィーの死

 声をあげて泣きながら、ずっと「いやだ!」とか「なんで?」とか言いながら、時間が過ぎた。
 一緒にプレーをしていたタッチラグビーのグループからも、ルトフィーの訃報が流れてきた。まだ、嘘だと信じていたいのに、現実がどんどんと突きつけられる。
 WhatsAppに写真をあげていた人から、昨日の夕方親戚などと行った海で溺れたのが死因であることを聞かされた。昨日のインスタグラムに海のビデオを何度もあげていたのを見ていたので、あの後亡くなってしまったんだなと更に泣いてしまった。彼はイスラム教なので、今日の午後埋葬されることも教えてもらった。

 ぼろぼろに泣いていたところに、スタッフのマイケルが出勤してきた。
今までに自分が得た情報を伝える。私が信じられないと泣く様子を見て、墓地に行ってみようと言って、車を運転し連れて行ってくれた。
 女性は母親であっても埋葬から40日はお墓に入れないという決まりがあり、私は墓地の中には入れなかった。埋葬の時間が近づき、どんどんと人が集まってくる。すごい数の人と高級な車、マイケル曰くかなり有名な人もいたらしかった。私はただただ泣いていた。
 そしてルトフィーの遺体を乗せた救急車が到着し、墓地に入っていった。
遠目に布に覆われた遺体が運ばれているのを見た。亡くなったのは本当なんだなと、初めて実感した。涙がまた溢れた。
 目の前で起こっている現実があまりにも悲しくて、私は墓地を後にした。

 数日前に出張から帰ってきたばかり、今日久しぶりにジムで会えるから、出張の話を聞いてみるかーとか昨日まで呑気に考えていたのだ。
 訃報を聞いてすぐは、自分の悲しさばかり感じていた。私の中でこの何か月か元気をくれていた存在が消えてしまった、そんな喪失感を感じていた。
 少し時間が経つと、彼の家族や親戚、友人の悲しさや何よりももっと生きたかったであろう彼の苦しみや辛さを想い、さらに悲しくなっていった。

 
 タンザニアにいると日本にいるときより、死が身近にある。
 この11年で、同僚や知り合いの訃報を聞くことは何度もあった。それでも、ここまで感情移入することはあまりなかった。自分が思っていたよりも彼のことが好きだったんだなあと思った。そして、私が思っていたよりも精神的に助けてもらっている部分があったのだと気付かされたのだった。

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