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可視化されたじゅんぴぃ

中秋の名月の昨夜、夜間飛行の機上からお月見を楽しんだ相方と次女が帰宅しました。

話したいことがありすぎて、普段無口な相方がマシンガントーク。
以下↓

昨年2月に交通事故でご主人を亡くされたいとこが、叔母と娘さんを伴ってお通夜に来てくれました。
県境を超えて帰宅したいとこからLINE。
「うちの娘、父親を亡くしてから、《見える》人になったのだけど、お通夜の席で、おばちゃん(じゅんぴぃ)が立ち上がってニコニコしてこちらを見守っているのが見えた、って言ってる」と。

いきなりスピな話になってしまいましたが、信じる信じないじゃなくて、母が安心して旅立ったような話には嬉しくなりました。

本来ならば、うちの姉弟夫婦(うちは私の代わりに次女)と、父、父のすぐ下の妹とその娘だけのお通夜、葬儀のはずが、いとこ会LINEでバレちゃって、叔母たち&いとこたちが大量に弔問に来てくれました。

ツーブロックという噂のあったお坊さんですが、パーマだったらしいです。
で、じゅんぴぃが御仏の弟子として旅立つにあたって、「お剃刀の儀」をなさったのですが、その最中に父が「自分はパーマなのにね」と。
次女曰く「頭はボケてるけどツッコミは鋭い」。
ハイ、笑うとこですよ、ココ!

お寺での法要で、「皆さんご一緒にお唱えください」と経典を渡されたのですが、詩吟のような記号が横についていたのだそうです。
御経が始まると相方「こ、これは…ラップ??」。次女も「歌なん?」
皆さんご一緒にと言われても、誰もついていけなかったとか。

相方の宗派は釈迦如来第一主義、経典、まずは般若心経。あと、葬儀はめちゃくちゃ賑やか(楽器演奏的な意味で)。
こちらは、なにはともあれ阿弥陀如来、なんまんだー。般若心経は唱えません。

義父、義父の兄、兄嫁と曹洞宗の葬儀、法要には何度か参列した次女も、初めての浄土真宗の葬儀にはちょっと戸惑ったよう。

菩提寺のご住職はご高齢で今は法事などは派遣(?)の方にお願いしているようで、次女の見立てによると「ほぼタメ」くらいの年齢の若い方だったそう。

「四十九日とか言われていますが、アレは迷信です。お弔いの心はみなさんのお心のなかにあります。日時に関係なく、いつでも故人をお弔いくださってください。」

わりとぶっちゃけてる感じだったそうです。



次女の撮った写真をよく見たら、火葬場での父は車椅子でした。
杖もついていました。

が、夕食会場のホテルでは、エスカレーターめがけてダッシュかましたそうです。
記憶のユレもだけど、筋力も気持ち次第で強くなったり弱くなったり。

そんな父から、昨夜12時半に電話がかかってきました。
「昨日、だれかと会ったけ?」
次女が遊びに帰ってたから会ってご飯を食べたよね、と。

そしてけさ、弟たちのところにも電話が。

淋しい。
帰ってきてくれないか。

「かーちゃんは行ったか?」
「天国に行ったよ」
「よかったがね」

心配していた感情の揺れからくる暴言などはなかったようで、静かに受け止めているようでした。
おぼろげに覚えていることと言えば、たくさんの人に会えてうれしかったこと。
その反動がきているようです。

母のことについては、かなり前から「かーちゃんはもうおらんのやろ?」と言ってました。自分なりに覚悟はできていた模様。

ただただ今はさみしい、と。

次の連休に弟がまた帰るので、ゆっくり相手することと思います。

逝去に伴う書類の手続きなど、母が加入していたかんぽの手続きを残して昨日一日で済ませ、香典返しの発送も終わり、じゅんぴぃは書面上もあちらの世界の人となりました。

春からこっち、「早く終わらせてあげたい、今の状態は可哀想すぎる」とずっと思っていました。
認知症になった母のことを「母」として認めるのが辛い気持ちもありました。

旅立つ瞬間の母の気持ちはわかりません。

でも、みんなが集まってくれて楽しそうに見守っていたというのなら、きっとなんの未練もなく次の世界で暮らしていることと思います。

そうなると、いとこ会LINEにうっかり報告してくれたいとこにも感謝です。


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