見出し画像

乳がん闘病記(2)ドセタキセル投与1クール2日目2024年7月3日 

結局目が冴えたまま朝になり、5時から行動開始!
と言ってもまだ消灯中なのでスマホでゲームしたり、少しずつ荷物を整理したり。

6時。
看護師さんがいらして、検温と血圧測定。
この数年血圧が120↑と高くなっていたのですが、この日は93/73。
体温36.5度と平熱。
体調には特に問題なし。

談話室の給湯器でお湯を汲んで持参した梅昆布茶で一服。
ここまで心配していた副作用が全く無くてホッとしました。

吐き気も、痛みも、もちろん脱毛も。

全然眠れなかったけれど、1つにはこの病院が救急病院で(昨年伯母が救急搬送された病院です)、深夜でも救急車の出入りがあり、その搬送口が私の病室の真下で、サイレンが聞こえると色々なことが思い出されてよけいに眠れなくなったのだと思い当たりました。

長女が生まれた時。
私のお腹から出されてすぐに救急車に乗せられることになり、手術室がバタバタしていました。
連れて行かれる直前、顔を一目見せてほしいとお願いし、アイマスクを外して対面しました。 
こんなに苦労して産んだのに、私のDNAの欠片もない、相方の赤ちゃんの頃の写真とそっくりな女の子でした。

そんなこととか。

神戸にいた頃。
出勤前の相方が突然服を脱ぎだして畳の上を転がり出しました。
脂汗をかき、しきりに腹痛を訴えていました。
人生初、119コール、と思ったのですが、その時の私はまだパジャマですっぴん💦
なぜか、救急車は呼んだらすぐに来るというイメージがあって
「ごめん、ちょっと着替えるから待ってて」
と痛がる相方を放置←鬼嫁

準備が整ったところで119番。

あとから伺ったのですが、マンションの番地と棟の番号が違っていて到着が遅れたそうです。

とりあえず、娘たちの学校と、私の勤務先の学校に電話連絡し、お隣の奥様に鍵をお預けして、救急車に乗りました。

相方の手を握りながら、
こんなに痛がってる人を置いて化粧するとか、本当にひどいことをしてしまった、もし何かあったら私は一生後悔し続ける。
でもここで泣くわけには行かない。とにかく声をかけて励まし続けました。

結果。
尿管結石でした。
ガーゼをかけた紙コップに尿を出して、石を確認したのだそうです。
結局2泊して帰ってきました。
 
あれからもう何年経ったのだろう…
そんな事を思い出した夜でした。

朝8時前にブレックファスト。

スティックコーヒーを持ってきていたので、牛乳を入れてミルクコーヒーにして飲みました。

オムレツ、ひっくり返すとこんな感じ。

食後のデザート
吐き気止めのデカドロン。
名前がタイムボカンシリーズっぽい

このあと、今後の外来での化学療法についての説明、薬剤師さんによる薬の説明と、今回使用した薬剤の説明。
そして、腕のネームリングを外して無事病室を後に、と思ったら、ゴミをどうするのか分からなくて💦

とりあえず分別してましたが、これは家に持って帰るの?と思いつつ、お湯を捨てに談話室に寄ったら、オーブントースターなどに並んでいる台の下が分別ゴミ箱になっていました。
ああ、なるほど。
長期入院になったらその都度捨てに来たらいいのね。

病棟を出て精算。
ここでももちろんポイ活。
今回は43850円でした。

帰りはバス。幸いインバウンド客は少なく、ゆっくり座ることができました。

1日ぶりの我が家、ゆっくりしたいところだけど、家族と分けて2回洗いの洗濯、次の入院用のグッズ仕分けなどさっさと済ませたいものをやっておいてから、病院内コンビニで買っておいたおにぎりでお昼ごはん。

そして、夕べ寝られなかった分を取り戻すためのお昼寝💤

化学療法1クール目はこんな感じで始まりました。

ついに始まった化学療法。
これからどんどん私の体の中は変化していきます。
がん細胞とともに正常な細胞も壊れていく。
そのせめぎあいを制するのは、気合だぁ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?