10年。
2021年3月11日。
あれから10年たった。
あの日、10年後にくるであろう2021年3月11日のことはまったく想像もできなかった。
そして、当たり前の様に10年経ち、2021年3月11日はきた。
10年前のあのころ、日本人は10年後にはきっと国民が一致団結し、見事に復興し、強く素晴らしい日本になっていると希望を抱いて、励まし合っていた。みんなで頑張って立ち上がろう。そんなメッセージを報道番組は繰り返し伝えていた。
10年あればできるんじゃないかって思っていた。
でも、そうはならなかった。
丁寧に言うと、まだまだ理想には遠かった。
あの頃、日本の政治はお互いの足を引っ張り合ってるよう見えて、私はとても国の将来が不安だった。
頭の良い大人たちが集まっているのに、なんで力を合わせて行動しないんだろう。そう思っていた。
地震になった時、不謹慎かもしれないが、もしかしたらこれを機に日本の政治は一つにまとまるんじゃないかと期待した。偉い人たちがお互いを尊重しあって世界が驚く様なアイデアを次々と出して日本を蘇らせて、そんな日本が注目を浴びるんじゃないかと期待した。
でも、そうはならなかった。
丁寧に言うと、全くそうはならなかった。
一生懸命頑張っている人がいても、その人に少しでも非があると、必死に叩く人が周りにたくさんいた。まとまるどころかそれぞれがバラバラに孤立して対立して、言いたいことだけ言ってる姿ばかりが目立っていった。
いつの頃から、そんなふうになったんだろう。
私の記憶では、1998年のサッカーワールドカップの中継でラモスが試合後の解説で日本代表の戦い方にめちゃめちゃ文句を言った時、何かが変わった気がした。
テレビという公共の場で、日本代表という誰もが尊敬し応援する対象であるにもかかわらず、自分の意見を感情的に表現し言い切ったラモス。
思えば、本当はラモスは言いたいことを言っただけじゃなかったはず。かつて一緒にワールドカップを夢見て戦ってきた仲間に対して、愛が深いゆえに、厳しい言葉でげきを飛ばしたんだと思う。まるでフィールドでしていた時と同じ様に。批判より期待を込めて。
しかし、それは違うメッセージとして届いた。
「あ、日本代表のことをテレビで非難してもいいんだ。」
そんな雰囲気になった。
ドーハの時も、なんで最後ボールキープしないんだ、とか批判は少なからずあった。
でもその時とはまたちょっと雰囲気が違った。
つぎつぎとラモスに便乗するかの様に、我らが日本代表様を批判するメディアや解説者が出てきた。今までよりもそんな意見が目立つ様になった。いつしかそれを見た市民も批判的なことを話す様になってきた。
始めてワールドカップに出て、日本より絶対に強い相手に手も足も出ないけど、日本のために戦っている選手のことを、いつの間にか開幕前より多くの人が批判する様になった。確か空港で生卵を投げつけられた選手もいた。
そんな報道ばかりが目立つ様になって、なんか嫌だなって思った。
日本に[批判=強者]みたいな雰囲気ができてくる感じがしてすごく嫌だった。
私は高度成長期を知らない。
歴史も苦手科目だったので、正しい知識もないかもしれない。
今と同じ様に批判ばかりが目立っていたかもしれない。
当時もよくない政治家もたくさんいたかもしれない。
でもなんか日本が発展するために、知恵を出しあい、勇気を持って前進していたんじゃないかと思う。
今の私たちは他人の意見にとても左右される社会にいる。
形だけの批判ではなく、愛ある意見を。
もっと、応援してほしい。協力してほしい。
何かを背負って、矢面に立って頑張っている身近な人を。
目立つ非よりも、前に進もうとする小さな力に気づいてほしい。
10年前の人たちが今の日本を見たら、どう思うだろう。
この10年間必死に頑張ってきたと、誇らしく言えるのだろうか。
嘘みたいだけど、本当に10年経ってしまった。
あの日、東京で働いていたけど、10年前のことなのに嘘みたいによく覚えている。
そして思う。
そんな自分もたいしたことしてなかった、って。
この10年。
書き終わって、あたらめてyoutubeでその時のラモスのコメントみたけど、当時のことを思い出して、ドキドキする。怒ってるなあ。でも愛がある。
10年前のあの日に被災した方々、そして10年間悲しみとともに強く生きてこられた方々にお見舞い申し上げます。
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