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医学、サッカー、黒伊佐錦 第67回 月刊中山祐次郎


皆様、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さてこの月刊中山祐次郎、本年第一号が遅くなってしまいました。南日本新聞に掲載されたエッセイを転載し、裏話を追記しております。それでは2021年、始まり、始まりー!

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2年の浪人のすえなんとか鹿児島大学医学部に合格した僕は、2000年4月から医学生としての生活を始めた。2年生の後半に解剖実習という強烈な洗礼を受け、医者でなかった僕は少しずつ医者になっていった。 大学3年生にもなると、だいぶ鹿児島の生活に慣れてきた。

7人くらい落第した厳しい解剖学の講義が終わり、なんとなく同級生90人との連帯感も生まれた気がしていた。大学の講義も前半は「生理学」「免疫学」など基礎医学と呼ばれる科目だったが、秋頃からは「内科学」「小児科学」「皮膚科学」という、病院の中の看板で見たことがある名前に変わっていった。いよいよ医者っぽくなってきたなあ、と嬉しく思った。 

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