[第1部 被災](12)
震災1周年
年が変わって、1996年。
震災1周年になる1月17日の正午、阪神間の各地でサイレンが鳴り響いた。僕は会社で、妻は勤め先の学校で、長女は小学校で、長男は保育所で、それぞれ思い思いに黙祷した。職場にあるテレビは、皇族や総理大臣が神戸の慰霊祭に出席している姿を写し出していた。長女の通う小学校では2名の児童が、また同じ校区内では60名余の住民の方が亡くなられていた。長女は(たまたま選ばれた)震災の詩を全校生徒の前で読み、2名の児童の担任の先生はそれぞれの児童との思い出を綴った文章を朗読された。そして校長先生以下全員が、亡くなられた方々に哀悼の意を捧げた。いまも校庭の北西の端にこの方々の名前を刻んだ石碑が建っている。
マンションでは、「建替えか修復か」が依然として問題になっていた。もっと突っ込んでいえば、「その問題を住民の手で解決すべきか、第3者に委ねるべきか?」が大きな争点になっていた。ここでいう第3者とは、国とか県、あるいは復興を支援している公的なプロジェクトなどである。マンションの根本的な問題を、その住民ではなく外部の人間に委ねるなどまったくおかしい、という意見ももちろんあった。僕も最初はそう思った。しかし1995年夏の住民総会では「建替え6割、修復4割」というバランスのよい平衡状態だったため、そのままでは、ルールを決めて法的な裏付けを取ったとしても、民主的な投票で決めようとする限り、どちらにも決定できず、マンションは結果的に放置され続ける運命にあった。
実は、この住民総会が行われる前の5月頃に、アンケートによる住民の意識調査が行われていた。そのなかに「建替え」でも「修復」でもなく、「このまま何も手当をせずに放置する」ことを積極的に選択した人がわずかだが居た。これには皆びっくりした。放置する理由は「とりあえず、いま住めている」ことと「建替えは言うに及ばず、修復でも金がかかり過ぎる」ということだった。わずかにこういう「積極的放置派」もいるにはいたが、やはり99%の人は、マンション復興を望んでいた。そのためには「建替えか修復か」方針をはっきりさせなければいけないが、住民の話し合いはいつまでたっても平行線。であれば、外部の判断を仰ぐしかないではないか。
しかし、実際には国にしろ県にしろ市にしろ、このマンションをどうすべきか、決めてくれるようなところは1つも現われなかった。一旦更地にして土地を売却し、そこに新しいマンションを建てると、一体住民の負担はどのくらいになるのか、また建築基準法上、建物はどういう形になるのか、などを示してくれるところも出てこなかった。住宅都市整備公団にしろどこにしろ、それを検討するには、まず住民全員の合意が先決だという返事が戻ってくるだけだった。こっちはそもそも住民の合意が固まらないから外部に委ねようとしているのだが、話はぐるぐると空転するばかりだった。
結局は住民で何度も何度も話し合って煮詰めていくしか方法はなかった。しかし200戸以上の集合住宅で、1/3が転居しており、専門家を招いての勉強会や、住民同士の意見を出しあう棟別集会を開いても出席率は3割程度。これでは話し合いは進まず、結局毎度おなじみのメンバーが出席しては反対側の陣営の揚げ足取りをするような口論に終始していた。
年明け早々に理事会は、谷川さんという復興の専門家を呼んで講演を依頼した。氏は『全国マンション管理組合連合会』の事務局長で、いくつかのマンションの復興を支援し、話をまとめてきた実力者だった。氏によると、現実はシビアなものだった。曰く、「関西のマンションを歴史的に眺めてみると、戦後、住民による建替え事例で最もスムーズに事が運んだのは芦屋のAというマンションだが、ここでも取り組みから完成まで約3年かかった。一般的には“建替え”は、5年〜7年かかると思ってほしい」
このAというマンションは、今回の震災で建替えたのではなく、それよりずっと以前に老朽化が進んでいたため、住民が話し合いで建替え合意に達した珍しい例だが、ここは全部で20戸程度の小規模なマンションであり、全員集会も簡単に開催できた。また、容積率にまだかなりの余裕があり、高さ制限の規制も当時はなかったので、5階建てを7階建てに増築、その増えた住戸を分譲し、その売り上げ金を建替え資金に回せたので、結果的にもともと住んでいた住民の負担はゼロ、しかも1戸当たりの住居面積も1割ほど拡張できたという画期的な好条件であった。これだと反対者が出ようはずもないと思われるが、それでも3年。
「・・正直申しまして、皆さんのこの『西宮セントラルハイツ』の場合は、容積率を現在割り込んでいるので、新しくこの土地に建て直そうとすると、どうしても戸数を減らすか、一部住居面積を減らしてもらうしかありません。しかも建替え費用は1戸当たり、2000万円程度はかかるでしょう。で、お話しをきくと、建替え/修復がほぼ半々ですと。これは芦屋の例と逆で、最も難しいケースと言えます」
この講演会と同時期にマンションの被災状況を調べるための本格的な調査が始まった。理事会が依頼したのはK大学の建築工学博士である西本教授で、調査対象は地中に埋められた「杭」の破損状況だった。各棟の代表的な杭を数本ピックアップして地面から露出させ、その被害状況をチェックする。次にそのデータをコンピューターにインプットし、地震が起こった際、どの方角から建物に力がかかり、どの部分が歪んでどう破損したか、細かくシミュレーションする。これにより、最終的には露出しなかった他のすべての杭の状況もほぼ類推できるようだった。
調査は1か月程続き、3月に調査報告会が行われた。結果は「皆さんがご覧になっている支柱や壁面の状況とは裏腹に、実はE棟の杭が最も破損していました」ということだった。我々素人は、地上部分がガタガタに壊れていれば、当然地下もやられているだろうと思うのだが、実際は逆で「地震という巨大な振動波が襲ってきた場合、その建物の一番弱い部分がやられます。杭がしっかりしていれば上の構造体がやられるし、逆に地上の構造がしっかりしていれば、相対的に弱い地下杭に被害が集中します。」
調査で撮影された写真を見ても、確かに僕の住むE棟の杭がもっともひび割れが大きい。地上の部分がほとんどやられてなかったので安心していたのだが、その分地下が壊れていたというわけだ。こうした状況を述べた上で西本氏は「このマンションは古い基準で建てられたにもかかわらず、今回の地震によく耐えた。これは当時の設計が基準に対して充分な余裕をみていたからだと思います。いくつか補強すべき箇所はあるが、修復することで充分再生するし、また以前より数段強度を高めることも可能です」と締めくくった。
4月に入ると、このややこしい暗闇のような状況に突然光が差し込んできた。阪神間のマンション問題を解決しようと、近畿地区の弁護士連合会が被災問題専門の「仲裁センター」を新たに組織し、マンションのもつ複雑な利害関係を文字どおり「仲裁」してくれることになったのだ。ようやく公的な機関がこの問題に本格的に踏み込み始めたのだ。我々理事会は早速この「仲裁センター」に陳情書を提出し、今まで調査などで得たデータをすべて盛り込んだ上で
・このマンションは全体で1棟なのか、それとも5棟なのか?
・このマンションが受けた被害は金額にしてどのくらいなのか?
・もし建て替えるなら、一体いくらぐらいかかるのか?
・建て替えか、修復かを、住民はどうやって決めればよいのか?
・結論として、このマンションは建て替えるべきなのか、それとも修復で済ませるべきなのか?
といった問題を法的に検討してもらうことにした。
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