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[第2部 復興](14)

最後の集会


会場の中に入り、ゆるいスロープを降りていくと真ん中を横断する通路のわきにプーさんと妻、さっきの双眼鏡の男が並んで座っていた。プーさんは僕の顔をみて「ヨッ、ご苦労さん」と声をかけてくれる。妻が僕の袖を引っ張って、
「矢車さんの奥さんが来てるわよ」と斜め後ろの席を指差す。その方角をみると、なるほど、うちの子供を時々遊ばせてくれている小柄な奥さんの姿が目に止まる。
「そうか、旦那は欠席か。ということは、もう結論は出てるということか」
「多分、そうでしょうね」
「どっちなんだろうな」と様子を見ると、矢車さん(奥さん)は隣のでっぷりとした大柄な女性と話し込んでいる。肝っ玉かあさんみたいな風体だ。
「おい、あれ誰だ?」と妻に訊くと
「あれはね、E棟の板東さん。ご主人は細い、ひょろひょろっとした人なんだけど、会合はいつも奥さんが出席してるわね」
板東・・・ああ、僕が最初に説得の電話をかけた人か。定岡組と理事会は癒着してるから信用できない、と僕に言い放った男だ。あのダミ声を思い出すと、いまでも無力感に襲われる。
 
午後1時30分。出席者が過半数を超えていることを確認し、皆川副理事長が臨時総会の開催を宣言した。総会の議長である瀬戸理事長がマイクを持ち、我々発起人4人に壇上に上がるよう指示した。僕は賀来さんの後ろについて重々しい階段をのぼった。瀬戸さんが僕にマイクを渡した。僕は瀬戸氏の左隣に座り、マイクを握って広い会場を見渡した。
「発起人の、三島です」と僕は挨拶し、この総会が召集されるまでの経緯を説明し始めた。声がやや緊張し、早口になった。マイクが音声を拡大し、会場の2階席まで反響している。しかし途中から僕は不思議に落ち着いてきた。なにか大きな枠にしっかりつかまって大空を遊泳しているような気分だ。
「・・7月の総会では提案書は否決されましたが、このままこのマンションを放置しておくべきではないと思いました。・・私達の呼び掛けで90名を越す方々の署名が集まりました。・・理事会の提案内容を今回は大きく2つに分けて“第1号議案”“第2号議案”とし、もう一度皆さんとともに審議したいと思っております。」200名の視線がこっちに集まっているのを感じた。終わって、マイクを理事長に戻すと、瀬戸さんはマンションの図面を大きく拡大した紙を白板に張り出し、それを指し示しながら、修復工事の内容を細かく解説した。反対派が懸念している「E棟の1階駐車場部の安全性」を確保するために、壁を数カ所に新設する案も、そこに盛り込まれていた。
 
議事は質疑応答に移った。
最初に、中央通路の後ろに座っていた神川氏がふわっと手を挙げた。この男は「ニュースインナイト」の震災特集に登場した建替え派5人組の1人だ。係員がマイクを持って走っていく。
「B棟の神川ですー。配布された提案書を読みましたが、これ、7月の時の内容と同じですやんか。さっき三島さんが提案を2つに分けてとかなんとか言いはったけど、そんなんちっとも変わってへん。単なるテクニックや。そうでしょ?今日また同じことやるんですか?無意味でしょう。弁護士さんにお尋ねしたい。法的に、これどうなんですか?同じことを2回やるなんて許されるんですか?そこ、押さえたい。それからね、最近、私ら建替え派に、誰か知らんけど、色々とイヤがらせが来てます。もう驚くよ、私の部屋はB棟の6階ですけど、先日ベランダでヤモリやトカゲ、ムカデなどが発見された。信じられますか?皆さん。ヤモリなんてこーんなに大きくて(30cmくらいか)、うちの娘、卒倒してもうた。息子がなんとか瓶に詰めて管理人さんとこへ提出しましたけど、これ、イヤがらせですよ、はっきり言って。理事会、何とかして下さい。以上」
会場がざわめいた。何を言ってるのか?という当惑と、そうだそうだ、という拍手。失笑。罵声。ベランダにヤモリ?神川氏の部屋の真上は、瀬戸理事長が住んでいるのだ。すかさず、池谷さんがひょうきんな声をあげた。
「ヤモリ、うちにも出るでー」
会場は爆笑に包まれた。客席が揺れ、しばらくしておさまるのを待って、恵比須弁護士がマイクを持った。
「先ほどの神川さんのご質問で、法的に、同じ提案をもう一度審議できるのかという、いわゆる『一事不再理』的な問題についてですが、区分所有法、およびこの西宮セントラルハイツの管理規約、このどちらからみましても、合法であり、法的な問題は生じません」拍手が鳴り響いた。続いて佐野氏が手を上げた。
「E棟の佐野です。私は、地震はまた来るのではないか、それに備えてこのセントラルハイツをどのように補強すればよいのか、を絶えず考え、心配をしてきた人間です。実は、地震後に西宮市役所から入手した情報では、このマンションはまさに断層の上に建っていることがわかっています。ところが修復費用についてみてみると、大体400万円くらいと、以前の算出よりだいぶ安くなっている。震災の年の夏の総会では確か600万円くらいかかると言われていたはずです。これはどういうことか?無論、安いに越したことはないが、果たしてこのままで大丈夫なのでしょうか。なにか工事の計画の中で、重要な部分がいつの間にか消えてなくなっているのではないか。そんな気がして、私はとても不安です」
会場は再びしんと静まりかえった。佐野氏が続ける。
「私はいまE棟の2階に住んでいます。このE棟の1階は皆さんご存じのようにピロティ(空洞)になっています。このピロティ構造については先の大学の先生の調査でも、その脆弱さが指摘されていました。このマンションは、C棟とE棟がピロティになっておりC棟に関してはジャッキアップもやり、大規模な手当てを施す計画が明らかになっています。であれば何故E棟ももっと補強しようとしないのか。私はE棟のピロティは全部壁で塞いでしまったらよいと思う。そんなことをしたら車が通行できなくなる、駐車しにくくなる、との声もありますが、車の通行より人の命の方が大事でしょう。そんなこともわからんのか、と言いたい。今回の発起人の方々の提案は、7月の時と全く変わっていない。何も見直していないのではないか?私はこのような硬直した考え、なんらの改良・改善も受け付けないような提案に賛成することはできません」会場のあちこちからバラバラと拍手が起こる。理事長がマイクを持った。
「E棟のピロティの補強についてですが、構造計算をした結果、8枚の壁を作り、また柱も一部補強することにしています。ピロティすべてを壁で被うと、下部構造が強くなりすぎて、逆に2、3階の構造枠が破壊される恐れが出てきます。今回の提案はこの辺りを充分検討した上で出しているものです。また、修復工事を進めるにあたっては、“実行委員会”を設けて住民の皆さんの意見を汲み取りながら弾力的に進めていきたいと考えています。ですからいまのご意見のように『新たに壁を追加したい』という要望が出てくれば、それは棟別集会を開いて決議してもらえれば、その要求を取り入れることも可能かと考えます」
佐野氏が立ち上がる。
「それはおかしい。今回第1号議案で予算まで含めて修復案が通ってしまったら、あとで壁を増やそうとしても予算がないから逆戻りじゃないですか。貴方の言っていることは矛盾してますよ。やっぱりこんな提案じゃ駄目でしょう」
これを聞いて、僕は体が震えるような思いがこみ上げてきた。「理事長、いいですか?」と僕は手をあげた。マイクが手渡された。
「E棟の三島です。佐野さんのご意見に関して、1点、腑に落ちないことがあるので言わせていただきたい。佐野さんはE棟のピロティの真上に住んでいるので非常に恐い、とおっしゃられましたが、私はその佐野さんの上の階に住んでいる者で、地震が起こった時の状況としてはあまり変わらないかと思います。私も地震が来るのが恐い。佐野さんと同じように、もし今年中に来たらどうしよう、と不安に思っているひとりです。だからこそ、1日でも早く、1枚でもよいから壁を作ってほしいと願っています。今回の合意形成案では、なんらかの措置が取られるようなので、そこにすがる思いなのですが、もし今日この提案が否決されたら、どうなるか。少なくとも今年一杯はE棟が補強されるチャンスはないでしょう。そこのところを考えれば、いま議論しているこの提案を詰めて一刻も早く実行に移すのが筋じゃないですか?佐野さん、違いますかッ」最後は突きつけるような言い方になった。中央やや前寄りに陣取っている佐野氏とはずいぶん空間が隔たっているが眼はお互いを睨みつけていた。
どおっという拍手が起こった。佐野氏はマイクを握ったまま、
「まことにごもっともな意見でありますが、やるならば徹底的にやっていただきたいということです」と答えた。この後、しばし安全性に関する専門家の意見交換(住民の中には建築会社の技術畑の人も数名いた)が行われる中、会場の一番後ろの方で腕組みをしていた大山さんが手を上げた。理事長は「大山さん、どうぞ」と指名した。大山さんがゆっくりと立ち上がった。
 
「E棟の大山です。もともとこの集会は、E棟の住民が集まって車座になり、ざっくばらんな意見を述べあって理事会案の修正を検討する場ではなかったのでしょうか?私は署名をする際、そういう認識でした。私は8月の初めに、このE棟をなんとかしようと思い、理事会に『公開意見書』を提出しました。しかし理事会はこれを揉み消してしまわれた。そしてそれと入れ替わるようにして、三島さんが署名運動を始められたのです。私はよかれと思ってサインしたが、気がつくと本日の“全員総会”になっている。どうも進め方がおかしいのではないかと思います」ああ、まずいことになってきた、と思った。これだとE棟の修復派が内部分裂しているように受け取られてしまう。しかも大山氏は震災時の理事長で、人望がある人なのだ。どう返したらよいのか?と考えていると、早速、E棟に住む「建替え5人組」の1人、石松氏が手をあげた。いつもねちっこく自分の意見を陳述する人だ。
「E棟3階の石松です。いまの大山さんのお話を聴いていると、この総会召集の手続き自体にちょっと問題がありそうですな。そのあたり発起人に解説してもらったほうが良くはないですか?皆さん」ぱらぱら・・と拍手。嫌な役がマイクとともに回ってきた。
「三島です。経緯につきましては冒頭でも説明させていただきましたが、確かに当初はE棟の集会を行うための署名集めでした。が、いろいろな方とお話しているうちに、この問題はE棟の問題であると同時に、セントラルハイツ全体の問題でもある。E棟集会を行って仮に決議をし、提案が通ったとしても、その時点で他の棟の住民の思いを確認せずに進めるのはよろしくないとの意見もあり、私もその通りだと考え直し、ここにおられる各棟代表の方々に私からお願いをしてマンション全体に運動を拡げるように方向転換したのです。このことはE棟で署名をいただいた方には書面で報告すると共に、各戸を訪問させていただき、経過報告をさせていただきました。その後、この総会の召集を理事会に要求したあとも、提案に反対される方々も含めてできる限りご意見を聴くよう努力してきたつもりです」
すると、佐野氏の前の列に座っている須崎が突然「ウソをつけ!」と大声で叫んだ。そして係員が駆け付けるのももどかしいように手を伸ばし「マイク!」と言いながら立ち上がった。
「三島さん、あんたウソ言うたらあかんよ。みんなの意見って、俺のトコ一遍も来えへんかったやないか。私はね、E棟の住民として三島さんときっちり話したい、そう思うて何度もあんたとこへ電話したんや。そしたら通じへん。電話番号が変わってるんや」こうまくし立てると、その隣に座って居た須崎夫人らしき女性が口に両手をあてて、
「三島さんは電話番号を変えた!変えた!変えた!」とシュプレヒコールのように叫んだ。ふたたび会場がざわつき始めた。

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