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[第2部 復興](15)

まるで地響きのように


「静粛に願います、静粛に・・」と瀬戸理事長が声を高めた。皆川さんが、壇上にあるもう1つのマイクを手元に引き寄せた。
「A棟の皆川です。先程の大山さんのご意見ですが、私ども理事会は7月の総会以降、皆様から多数の手紙をいただいており、内容は充分に拝見し、理事会として検討もしております。その中には大山さんからの『公開意見書』も確かに含まれておりました。ただ、あの時点では7月の総会の議事録が出来ておらず、それをまず欠席された人にお伝えしてから、理事会で『公開意見書』を検討しようとしたところ、大山さんが意見書を取り下げた、と聞いております。決して揉み消したつもりはございません」言い終わらないうちに再び大山さんが立ち上がる。
「さっきの三島さんの説明は、話の筋が違うのではないか。E棟で単独の集会をまず行い、意見をまとめたうえで理事会に提出するようにしないと前には進まないと考えています。E棟で署名した16名の人は、E棟集会の開催を願ったのであり、決して総会の開催をお願いしたのではないと思います」
困った。同じことの繰り返しになっている。
「三島です。当初は確かにそのような考えを持っていましたが、先程説明したようにこれを拡大発展していくのがより良いだろうと判断しました。書面を持って大山さんのお宅にも伺いましたが、お留守でしたので、ポストに入れさせていただきました」
本当はその直後に大山さんの奥さんがうちの玄関に現れて激しい物言いになったのだが、そんなことは言えない。もうこのやり取りは止めたかったが、大山氏は引き下がらない。
「私は、あくまで、E棟を片付けなければ、この総会の意味がないと思います。」
どうしろというのだ?一体どうすればよいのか?再び皆川さんが割って入る。
「大山さん、色々な経緯があったかも知れませんが、このたび90名の署名をいただき、理事会が重い腰をあげて本日ただいま、臨時総会を開催しているのは事実であります。理事会は決して独断専行しているつもりはございません。おっしゃりたいことは多々あるかと思いますが、どうか、このセントラルハイツ再興という大きな流れの中で議論していただきたい。若輩ながら、よろしくお願いいたします」すると今度は、大山氏の隣に座っている大山夫人がマイクを持った。
「大山でございます。ひとこと言わせてください。私どもはあの震災直後、たまたま大山が理事長をしていたもので、何も見えない状況の中で、とにかく毎日毎日が戦いの連続でした。誹謗・中傷も受けましたし、泥もかぶりました。あなた方が、・・理事会がどれほどの苦労をしているか、それは知りませんが、当時の大山は、それはもう、ひどい、口には出せないようなことがありました。そういう大山の思いをどうか汲み取ってください」
「皆川です。大山さんが在るからこそ、現在の我々があると肝に銘じております。その辺は誤解のないようにお願いします。先輩のあとを継ぎ、一所懸命やっています。先輩を否定したことは一切ございません。どうかよろしくお願いします!」と壇上で深々と頭を下げた。偉い人だ、と思った。いままでじっと黙っていた出原氏もマイクを握った。
「出原です。一体どの辺まで泥をかぶればよいのか、あるいは一生懸命やればよいのか。この線引きは私にはわからないが、私について言えば、少なくとも今年の1月1日以降、自分で支払った交通費だけで5万円は下っていない。日数では土・日以外に、週の半分はこれに費やしてきた。もっともこれはリタイアしているからこそできることだが。そうやって官公庁への事情聴衆やら、個別ヒアリングやら、復興工事の打ち合わせやらを経て、揉みに揉んでこの提案書を作成している。これをどのように評価していただけるか、いろいろご意見はおありでしょうが、自分としては一所懸命やったと申し上げたい」
「私はそんなことは訊いていない」と大山さんが重々しく言い放った。
「繰り返すが、この場で、E棟集会をやっていただきたい」勿論、そんなことはできなかった。E棟のメンバーだけになると、佐野、須崎、石松と役者の揃っている建替え派のパワーが圧倒的なのだ。全部の棟の総会に拡大することで、5分に持ち込まなくてはいけない。何故それがあなたにはわからないのか。
「もし」と思わず僕は口を開いた。手にマイクを握っている。
「大山さんが、発起人の趣旨に承服できないとおっしゃるのなら」自分の声が会場に吸い込まれるような気がした。
「署名を取り消されても、止むを得ないと思います」すると大山氏が言い返した。
「あなた、そんなことを言うのは、私が署名を取り消しても、E棟の規定人数(E棟は54戸なので11戸の署名があれば1/5をクリアできた)を割り込まないのを知っているからだろう!!」
会場の空気が凍りついたようだった。僕は自分で言ったことの影響力がわからなくなった。大変な失態を演じているのかも知れなかった。皆川さんがまたなにかしゃべっている。会場にいる他の棟の人も、いままで口を開けなかった人も、手をあげて発言し始めていた。が、内容が頭に入らない。
「三島さん、」と誰かが後ろから呼び掛けている。「は?」振り返ると、いつの間にか中島さんが中腰でそばに来ている。
「ちょっと、舞台袖まで来てください」
引っ張られて席を立ち、袖に行くと、そこに恵比須弁護士が居た。
「三島さん、さきほどの発言ですが、法的にはやはり署名者に、改めてこの総会召集に賛成なのか、反対なのかの決を採ってもらうことが必要じゃないかと思いますが、如何ですか?」
「そうですね、賭けになりますが」と僕は恵比須氏に言った。
「大丈夫でしょう」
「大丈夫ですよね」と僕もオウム返しに言った。
そのあと恵比寿弁護士の提案で、会場にいる署名者に賛成・反対の決を問うた。大山氏だけ、手を挙げて反対した。ということは、彼は修復案そのものに反対するのか?一体どうするつもりなのか、僕にはまるでわからなかった。気がつくとまた、須崎がしゃべっている。
「私が懸念しているのは、中途半端な修復をして、1戸当たり400万円、更に室内の修復に800〜1000万必要な人もいるかも知れない。それで3年、5年、10年経って、やっぱりあの時の小手先の修理ではあかんかった、となった時、我々は後戻りできるんですか?そもそも理事会は、大山さんの時から、ずうっと修復のことばっかり考えて、建替えについては一切考えてきていない。一体このマンション、修復で何年持つのか、きちんと説明してほしい。理事長、答えろ」険しい表情の瀬戸理事長がマイクをとろうと手を伸ばすと、長部さんがその手を制した。
「D棟の長部です。先程からの議論を聞いていて、E棟集会のことで、大山さんと三島さんの間で若干の齟齬(そご)があったことは理解できましたが、既に時間的にも現理事会の期限が迫りつつあり、今日この場で徹底的に議論を尽くしてなんとか相互理解をお願いできないものかと思います。
さて次に佐野さん、須崎さんですが、あんたたちは毎回総会でぎょうさん時間をとって“修復はあかん、建替えをせよ”と演説しよるが、もし本当に建替えをしたいのであれば、具体的な案を示し、皆を納得させたらどうか。もしそういう現実味のある、納得できる提案が出てくれば、私だって建替えに賛成したい。しかし、先の調査で、このマンションの60人程の方々が、経済的な理由で、いかなる建替え事業にも賛成できないと言っている。この事実を、どうやって覆そうというのか。特に須崎さんに申し上げたい。あんたは、最近マンションを出て芦屋に引越したらしいが、そんな、外から眺めているだけの人間に、何が分かるのか。そんな奴の意見なんか、私はまったく、まともに聞く気にはなりません!」もう無茶苦茶であった。会場がどよめいた。B棟の、不二さんという、高齢の華奢な女性が立ち上がった。
「不二と申します。東京から来ています。いままでこういう場で一度も発言したことはありませんが、一言、言わせてください。私を含め、このマンションには高齢者、弱者が大勢住んでいます。震災からすでに2年半も経ち、私達は、もう死に体です。建替えを待っていたら、それこそ先にお迎えが来てしまうかも知れません。もちろん若い人、働き盛りの人もたくさんいらっしゃるでしょうが、このマンションをどうするか、この答えは1つしか用意できないでしょう。そのためにはある程度の妥協も必要かと存じます。どうか審議を前に進めて下さい。私達声なき声も、どうか大切にしてください」
E棟7Fの森さんが立ち上がった。
「E棟で署名をした森です。佐野さんや須崎さんは修復の安全性を疑問視するが、建替えにしろ修復にしろ、安全を疑えばきりがない。ピロティを壁で被えば安全性は改善されるかもしらんが、駐車場が使えなくなるし、費用はさらにかさむ。要は安全とコストの兼ね合いでしょう。私はいまの理事会案でいいと思う」
6Fの平林さんもマイクを持った。
「ポイントはこの復興案をどこにソフトランディングさせるかだ。さっき佐野さんが言われていた“あとで壁を増やそうとしても予算枠がないじゃないか”ということについては、またその時に総会を開いて皆で話し合えばよい。このままこの提案を闇に葬るべきではない」
再び、佐野氏が手を挙げた。この男はどういう状況になっても、まるで犀のように黙々と自分の考えを述べ続ける。
「私が建替えを主張するのは、なまじっかの修復では安心できない。徹底的な修復に多額の出費を要するなら、いろいろな優遇措置が受けられる建替えのほうが、却って安上がりだと判断しているからです。以前調べたのですが、住宅供給公社にマンションの敷地を買ってもらい、いわゆる『定期借地権方式』で再建すれば、非常に安くできるはずです。理事会はこれをどう考えているのか、聞かせてもらいたい」皆川氏が応じた。
「『定期借地権方式』については我々も調査しました。具体的には兵庫県の住宅供給公社を利用する方法が考えられますが、実際には予めいくつかの“条件”があり、西宮セントラルハイツに関しては60歳以上の高齢者が相当の割合を占めていることから、この方式による建替えは不可能であることがわかっています。そしてこのことは、佐野さん、以前の棟別説明会で、我々は一度説明しているはずです」
 
腕時計をみると、4時を少し回っていた。発言する人がいなくなった。巨大な伽藍堂のなかに独りポツンと佇んでいるような気がした。瀬戸さんがゆっくりとマイクに顔を近付けた。
「議論が出尽くしたようですので・・ここで質疑を打ち切らせていただき、この第1号議案に対する皆様の賛否を問いたいと思います。お手持ちの投票用紙に記入の上、前方に用意しました各棟別の投票箱に入れてください。」キツく縛ってあった紐がほどけるように人々は思い思いの動きをし始めた。背伸びをする人、あくびをする人、煙草を吸いに外へ出る人。各棟の箱の前にはすぐに投票する人の長い列が出来た。壇上の理事や発起人達は控え室に向かった。僕も机に拡げた書類をパタンと閉じて、舞台袖の階段を降り、会場の人達に混じって投票を済ませ、それから外の廊下に出た。するとそこに管理人が立っていて、僕の顔を見るなりそばに来て
「三島さん、大丈夫ですよ」と小声で囁いた。
「え?大丈夫って?」
「ほら、4Fの高砂のおばあちゃん、今日欠席しとる、」
「ああそうだった。で、どうでしたか」と訊ねると、
「わしマンションに飛んで戻ってな、会場から持って行った“委任状用紙”にサインさせたんや。もう本人は平謝りやで。これから神戸へ出かけなあかん、ゆうてな。そやけどわしがその委任状を持って帰ってさっきE棟の箱に入れたから、もう大丈夫」
「恩に着ます」
「なあに、わしらおんなし運命やて」「確かに」と会釈して、さてトイレに行こうかと歩き出した時、誰かにじっと観られているような気がした。振り返ると、そこに須崎がいた。
 
「やあ」と彼が微笑みかけた。スーツを着て、一見紳士ふうな身のこなしだが、眼が妙に乾いている。僕はギクっとして足がすくんだ。不思議に周りには誰もいなかった。
「三島さん、あんた、なんで電話番号変えたんや?」と彼は笑いながら僕に訊ねた。僕はこわばる顔を無理矢理愛想の良い笑顔に変えて
「いやまあ、ちょっと事情がありましてね、」と返事をすると
「ま、ええわ。あんた○○社やったな、大阪の。今度あんたの会社行ったるわ。」と言い捨てて、すたすたと僕の脇を通り過ぎていった。
「来るなら来てみろ」と僕はその背中に向かってつぶやいた。
 
トイレから会場に戻り、控え室を覗くと、そこでは6〜7名の理事と発起人が集まって、開票作業を始めていた。僕は吸い寄せられるようにその光景をみつめた。理事は箱から、たった今投票されたばかりの紙の山を引きずり出し、それを少しずつ崩しながら賛成・反対の集計を行っていた。静かな風景だった。てきぱきと動く手つきが小気味良かった。ふと中島さんが顔をあげてぼんやりと宙を見た。
「おかしいな。13票しかない・・・」 それから彼は僕の方をみて、
「ねえ、三島さん。これあなたも確認してくれませんか?」と言った。
「これですか?どこの棟?」
「どこって、E棟ですよ、E棟の反対票です」と中島さんがハンカチで汗をふきながら説明する。冷房が余り入ってなくて、みんな袖をまくって作業している。
「反対票ですか。何票あったんですか?」
「だから13票しかない」
「13票って・・じゃあ賛成が3/4以上あるっていうこと?」
「そうなるけど、おかしいでしょ?」
「ええ、まあ」と言いながら僕はそのまま椅子を交代して反対票の確認作業に入った。票をめくっていくと、すぐに佐野、須崎、石松の名前が出てきた。神戸に避難した田畑氏、歯科医の西井氏の名前もある。平林さんが説得しようとした伊賀さんも反対票だ。そして矢車さん。やっぱり駄目だったか、と僕は思った。が、反対票は確かに13票しかない。すると誰かが投票し忘れているのか、それとも僕の予想していない誰かが賛成に回ったのか。僕はその隣にあった、賛成票の山を調べてみた。パラパラとみていくと、大山さんの名前が出てきた。ああ、この人は賛成なのか。まったく最後まで考えていることがわからなかったが、結果はまあよかった。高砂のおばあちゃんの委任状も出てきた。そして、もうしばらくめくっていくと、最後の方に「板東」という名前が飛込んできた。
 
板東?
 
僕はしばらくの間、その投票用紙を眺めた。板東氏は反対のはずである。何かの間違いだろうか?と考えていると、僕の脳裏に、あのイヤなダミ声で彼がかつてこう話していたのが蘇ってきた。
「ワシな、この件はいつもヨメに任してんのや。そやから何も言うことあらへんけどな・・・」
そうか。あの肝っ玉かあさんは板東氏の代弁者ではないのか。そして、彼女はマンション修復に賛成だったのだ!!
僕は自分の身体が飛び散ってしまいそうな気がした。そして周囲の理事達に向かって叫んだ。
「みなさん、E棟が3/4を超えましたよ!」
すると理事達はまるでハチ切れたように口々に叫んだり肩を叩きあったり握手を求めてきたりした。田代氏が来て、僕に抱きついた。
「やったぞ、とうとうやったぞ」賀来さんも長部さんも喜びを隠し切れず、踊り出しそうだった。副理事長の皆川さんが来た。
「あんた、よくやってくれた」僕は黙ってその手を握りしめた。
そのあとまた理事達は黙々と開票結果を白板に大きく記し、それをそのまま舞台袖から壇上に運んで設置した。休憩時間が終わり、我々はまた壇上の席についた。会場は静かに興奮しているようだった。皆川さんがマイクを持った。
「それでは皆様、第1号議案の開票結果をお知らせいたします。各棟の投票結果は、この白板に書かれている通りです。すべての棟において賛成が3/4を超えました。よって、本件は可決されました!」
皆川さんの声が場内に反響したかと思うと、それに呼応して、何十、何百という声や拍手や足音やらがまるで地響きのように唸った。妻によると、実際に彼女の隣にいた双眼鏡の男性は「ウオーーッ」とひたすら絶叫していたそうである。伽藍堂が一瞬眩しく光ったような気がした。喚声を一身に浴びて、僕はしばらく呆然となっていた。騒ぎが一段落したあと、皆川さんが瀬戸さんを促した。
「理事長、ご挨拶を・・」促されて瀬戸さんはマイクを持った。
「・・皆様のおかげをもちまして、本件は可決することができました。この決議をもとにして我々は・・」彼はそこで言葉を切った。僕は隣にいる彼をみた。彼は泣いていた。男泣きだった。泣き声がマイクを通じて会場に届くと、再び、怒濤のような歓声が沸き上がった。
「瀬戸さーーーん、ありがとーーーーう」という女性の、大きな声が聴こえた。やっと、ここまできたのだ。やっとひとつになれたのだ。僕はそう思った。瀬戸さん、おめでとう。
そうしてふと会場をみると、つい先程まで激しく議論していた、佐野、須崎、神川といった人々がいつの間にか会場から姿を消していることに、僕は気がついた。

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