[第1部 被災](19)
我々は一切を白紙に戻します。
夏がきた。
1997年7月27日。この日、理事会は「段階的合意形成案」を掲げ、住民総会を開催した。炎天下、勤労会館に200名近くの住民が集まり、壇上に瀬戸理事長、皆川副理事長、出原副理事長があがり、午後1時30分、皆川氏が開催を宣言した。出席率97.5%。さすがにマンションの運命を決する時だけに、東京・大阪、その他各地からほとんどの区分所有者が集まり、会場はびっしりと人で埋った。出席者の手元には、理事会がこの1年間をかけて作り上げてきた、20ページに及ぶ提案書、『段階的合意形成案』が配られていた。
提案の中味は大きく4つに区分されており、第1の提案は「建築関連」と題し、A〜E棟の棟別の工事の概要、棟別の費用負担額の詳細、特に被害の大きかった1階についてはその専有部分の修復費用の一部を全員で負担する趣旨の説明、修復業者としてこのマンションを20年前に建設した施工主、「定岡組」を推薦することが記されてあった。
続く第2の提案は、「区分所有法」関連で、今回の決議方式の説明、昨年に提出された「意見書」の位置付け、今後予想される「買取請求権」は理事会がこれを受け付けること、が記されてあった。
第3は「資金計画」について。今回の修復では約10億円の資金が必要になるが、そのうちの2.2億円については、管理組合が住宅金融公庫から融資を受け、これを10年がかりで返済する方針だった。残りはこの年の年末までに施工主に払い込む。住民1戸あたりの平均の支払額は400万円くらいだった。震災直後の理事会の試算では修復には600万円くらいかかると想定されていたが、その後修復内容を最低限に切り詰め、かつ融資を受けることで、当面の住民負担を大幅に減らし、修復事業に参加しやすいようにしていた。10年がかりの返済は、毎月の管理費に上乗せする形だったが、額は8000円程度であった。
そして最後に第4の提案として「今後の体制」があり、ここで、今現在の理事会-瀬戸氏を中心とする理事会が、この「段階的合意形成案」が通ったあかつきには、もう1期、つまりもう1年任期を延長する決意が記されていた。
「へえ、瀬戸さん、本気かな?」と僕は驚いた。僕にとって死ぬほどつらかったあの1年をもう一回やるとは・・。そう思っているうちに、理事長の提案説明が終り、会場に質問のマイクが向けられた。佐野氏が手を挙げた。
「今回の理事会からの提案は、全部で4つありますが、これは一括決議ですか?であれば、個々の内容について1つでも賛成できないものがあれば反対票を投じる、ということでよろしいですな?」
これは先制攻撃だった。基本的には修復に賛成しよう思っている人のなかにも、費用負担の配分に文句がある人もいれば、修復工事を遂行する業者である「定岡組」に不満がある人、あるいは現理事会そのものに不審を抱いている人、等がいる。この佐野氏の念押しで、彼等が一斉に「反対」に回ることも充分考えられる。そこを見越して、彼はまず最初の一撃を加えたのだ。
彼はこれに続いて、かつてのマンションの施工主である「定岡組」がいかに無責任な発言をしてきたかを具体的に示し、今回の修復事業に対して指名を辞退するよう主張した。
「今回の震災でB・C棟間の渡り廊下が大きな被害を受けましたが、これはこの棟の屋上に設置されている高架水槽の重量を支えるための補強板が入っていないことが原因ではないか、と定岡組に質問したところ、“うちは工事を請け負っただけだ。設計した人に聞いてくれ”という趣旨の発言をされた。これは驚くべき発言だ。こんないい加減な物言いをする業者に一体良心があるのか、と問いたい」
瀬戸氏が返答した。
「B・C棟の廊下の被害の原因を、いまここで特定するのは困難です。そこを追及することよりも、今後どう修復し、強化していくか、が大事でしょう。定岡組を推すのは、このマンションを20年前に建設した会社で、ここの複雑な構造を熟知している、従ってどこをどう修復するか、について最適な解を出せるものと期待するからです。定岡組のほうも“誠心誠意やらせていただく”と言っています。どうか皆さんもご理解いただくよう、よろしくお願いいたします」
須崎氏が立ち上がった。
「20年前の工事で、明らかに定岡組はミスを犯している。B・C棟間の渡り廊下の設計は欠陥だ。これをはっきりさせるために、ニュースインナイトでもここをしっかり撮影してもらった。そうしたら、あとで“誰に撮影許可をもらったのか”とものすごい抗議を受けた。あの抗議は一体なんだったのか、この場で説明してほしい」
これを聞いて、それまで冷静に議事を進めていた副理事長の皆川氏が語気を強めて言った。
「須崎さん、私はね、1区分所有者として、あのテレビを見て、非常に憤りを感じました。どうしてこの西宮セントラルハイツの無残な姿が、日本中にさらされなくてはいけないのか。いまこのマンションは難しい、複雑な状況の中にある。みなさん、それをわかっているはずです。だから理事会としては、マスコミに対し、一切の報道を差し控えてほしい、と理事長名で申し入れてきた。一方で、確かに報道の自由というものはあるでしょう。それを止めることは我々にはできない。とはいえ報道の仕方というものがあるはずです。テレビ局にはその点を申し入れ、理解をいただいたと思っています」
これらの質疑応答を聞いていて、僕は突然気が付いた。会場で議論に参加しているのは、他に発言している人も含め、100%建替え派の連中であり、住民の大部分を占める修復派の人々は全然発言しないのだ。理事会が修復の提案をしているのだから、それに質問するのは逆の立場の人間になるのは自然の流れではあったが、結果として理事会が彼等に好きなようにやられている、という印象が強かった。修復派の巻き返しが必要だ、と感じたが、僕もまたなんとなく気後れし、発言しなかった。建替え派数名のパワーに押さえつけられた格好だった。
最後に、大山理事会で書記を勤めていた青木氏が立ち上がった。
「震災が起こってから、3代続いてきた理事長は、全部、修復派でした。これは明らかです。建替えを、修復と平等に扱ってこられた理事長は1人もいなかった。そこだけは、今日お越しの皆さんにはっきり伝えておきたい。私が参画していた大山さんの理事会でもそうでした。建替えについてはほんのサワリだけ、という感じだった。こんなことでいいのか。やはりものごとは最後まで、平等に扱ってほしかった」
壇上の皆川副理事長がマイクを持った。
「建替えに関して、ここに1冊の資料があります。皆さんにもお渡ししているはずです。これは、理事会が各行政機関の建築、都市計画の担当部署を回って事情聴取し、作成したものです。建替えの図面についても瀬戸理事長が描き、これをもとに見積りも取っています。決して、我々は建替えをないがしろにはしていません。しかしながら、未だに当マンションに帰ってこれない方々がたくさんおられる。C棟の柱も折れたままです。それをお考えになって、一刻も早く、結論を出させてほしい、それをお願いしたい」
この皆川氏の発言を最後に、議論は終了し、各棟別の投票に移った。棟ごとに投票箱が用意され、列を作って順番に票を投じていく。そのまま休憩に入り、開票作業が行われた。15分後に結果が出た。結果は、A棟、B・C棟、D棟は85%前後の賛成票を得たが、E棟だけが68%にとどまり、規定の75%に達しなかったので、この「段階的合意形成案」は否決された。E棟は4票、足らなかった。僕の住む棟だ。須崎、佐野の住む棟でもあった。瀬戸理事長が青ざめた顔でマイクを握った。
「ご覧のように、我々理事会の提案は否決となりました。私どもは、この結果を厳粛に受け止め、この提案を振り返ることなく、一切を白紙に戻したいと考えます。そして、我々理事会は今後、マンションの復興に関しては一切取り組まず、ここから離れ、通常業務に戻る所存です。なお、現在は7月ですが、10月から始まる次期理事会のメンバーは通常通り輪番制で決めさせていただきます」
僕は視界がぼんやりしているのを感じた。会場はざわめいているのか、しんとしているのかもよくわからなかった。これからどうなるのか、うちのマンションは一体どうなっていくのか、さっぱりわからなくなってしまった。誰かわかっている人がいるかどうかも、わからなかった。そのぼんやりとした視界の隅のほうで、佐野氏と須崎氏がにこやかに握手をしている姿が写っているのがわかった。([第1部 被災]完)
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