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[第1部 被災](16)

そんな理屈を訊いてるんじゃない


9月20日、我々の任期のどんづまりになってようやくこの「意見書」を住民に問う準備が整い、この1年間の成果を占う「臨時総会」を開催することとなった。僕もプーさんも田代さんも、賀来理事長とともに壇上に上がり、大勢の区分所有者、そしてその中にいる須崎、佐野、沢田氏など、強硬な建替え論者と向かい合う形になった。
臨時総会では、「第1号議案」「第2号議案」という2つの議案を住民に示し、それぞれを各棟ごとに投票し決議することとした。第1号議案は「建替え」の是非を問うもので、もしこれが100%の賛成が得られれば「西宮セントラルハイツ」は建替えに決まる。1人でも反対者が出れば、「意見書」によりこの議案は「否決」となる。で、次に第2号議案に進むわけだが、こちらは「修復」の決議に関するもので、A,D,E棟は過半数、B・C棟は3/4以上の賛成で、修復に決まる。
「以前、芦屋でうちと似たようなケースのマンションが住民合意に至った時のやり方です。まず建替えの道を塞ぐ。すると、1回目の投票で建替えに入れた人も、“仕方がない、修復で我慢しよう”と考え、2回目の投票で修復に入れる可能性が出てきます」と賀来さんは今回のシナリオを理事に説明した。僕も他の理事も「それしかない、それで行きましょう」となった。

総会が始まり、賀来理事長が議案の説明をすると、早速佐野氏が立ち上がり
「この第1号議案から、“全員一致の場合のみ建替えられる”という表現を削除すべきだ」という動議を出した。ここを認めてしまったら建替えの芽はなくなる、と思ったのだろう。佐野氏が言い終らないうちに須崎氏が手を上げ、我々をにらみつけながら係員からマイクを受け取った。
「だいたいね、理事長。この意見書、おかしいんだよ。これによると、B・C棟以外は全部小規模滅失だってことになってる。でもぼくらの計算によるとね、このマンションは全部大規模滅失なんだ。もっともっと修復費は高いんだよ。これ、共有部分の修復費しか入ってないでしょう。おかしいじゃないの?専有部分、床とか、天井とか、壁とかが傷んでいる部屋が一杯あるんだよ。仲裁センターの弁護士さんたちは、頭で考えているから、机上の計算だから、こんな非現実的な数字を平気で出すんだよ」
すると前期理事会の書記をやっていた青木氏も立ち上がってしゃべりはじめる。
「理事長、一つお聞きしたい。仲裁センターはこのマンションをちゃんと視察に来ているんですか?なにも見ずに今回のような結論を導きだしてるんじゃないですか?もしそうなら、こんな意見書なんて無効ですよ」
「そうだそうだ」「賛成」と声があがる。「理事長、答えろ」
賀来さんがマイクを持った。
「ただいまの青木さんの質問にお答えします。仲裁センターは3月に視察に来ています。各棟の外観や、杭の破損具合、さらにはA棟のいくつかの部屋の内部も、区分所有者の了解を得て、見てもらっています。すべて私ども、理事会の立会のもとで、見てもらっています」
「壊れてないところを見せてもしょうがないんだよ」とすかさず須崎氏が叫ぶ。立ち上がり、係員が走って持ってくるマイクをわしづかみにしながら、
「理事長、あんたね、壊れてないところを見せたって、しょうがないんだ。そういうことするから、弁護士が、“ああこの程度か、大勢に影響ないな”て判断するんだよ」
「何号室なんだ」と後ろのほうから誰かが声を出す。「何号室なんだよ」
「A棟の103、105、201号室です」
「そんなとこ、全然壊れてないじゃないか!」
よく見えない、遠くの席で誰かが大声で怒鳴っている。
佐野氏がゆっくりと手をあげる。マイクが手渡される。
「E棟の佐野です。さっき須崎くんが言ってましたが、仲裁センターの計算は、すべて共用部分、つまり建物の構造体とか、手すりとか、廊下とか、階段とか、そういうところの滅失がいくらだったかを計算して、大規模か、小規模かの判定をしているわけです。専有部分は入っていないわけです。しかしこれはどう考えてもおかしい。だってそうでしょう。住民のみなさんは床が傾いていてもそのまま放っておきますか?天井がVの字に折れ曲がっていて、その下で生活できますか?できないでしょう。普通は修理するでしょう?その費用がいくらぐらいなのか、それも合わせて、大規模か、小規模かを判定しなきゃいけない。当然でしょうが。それがそうなっていないんだから、こんな意見書は破棄しなくてはいけない。そうじゃないですか、皆さん」
ここぞとばかりに5〜6名が拍手する。強硬派の顔が見え隠れする。前書記もいる。
賀来さんが壇上の椅子から立ち上がる。
「今日は顧問弁護士の恵比寿さんが来られています。いまの一連の議論を、法的な立場からコメントしていただきたいと思います」
「お抱え弁護士はすっこめえ」とすかさず野次が飛ぶ。まるで国会中継を観ているようだ。
マイクが恵比寿氏に渡る。
「顧問弁護士の恵比寿です。ただいま理事長からのご指摘の件ですが、皆さんもご存じのように、マンションの建替え、修復の問題は、『区分所有法』という法律によってその可否が判断されます。ただいまのご質問は、大規模滅失か、小規模滅失かを判定するのに、共有部分以外に、専有部分も考慮されるべきではないか、ということだと考えますが、法律上、この点を考慮することはできません。あくまで、共有部分の滅失の度合によって判定されるものです」
「そんな理屈を訊いてるんじゃないッ」と佐野氏が再び立ち上がる。
「理事長、あなたたち理事会が、無責任にもこの問題を仲裁センターに丸投げしたのは、このマンションの問題が法律だけでは解決しないからでしょう?区分所有法だけで割り切れる問題なら、とっくに解決しているはずだ。さっきから我々が主張しているのは、その法律を超えた、仲裁センターの判断が、現実を無視した絵空事になっている、と言ってるんだ」
「そうだそうだ」
理事長にマイクが戻ってくる。
「佐野さんのご指摘ですが、仲裁センターは、さきほども言いましたように、マンションを視察に来られています。そのうえで、この程度の破損であれば、仮に修復費用に上乗せするにしても、額はわずかであり、滅失の度合の判定に影響を与えるものではない、と結論付けているんです」
「なに言ってんだ」「うそつけ」と怒号が飛び交う。
「理事長、動議が出てるんだ、なんとかしろ」
賀来さんは壇上から
「ただいまの佐野さんの動議をどう扱うか、ここで緊急理事会を開いて協議いたしますので、その間、総会は中断いたします」と宣言した。場内は一旦休憩となり、我々理事は舞台袖に集まって、この動議を審議した。といっても、いまさら意見書を無視して彼等の要求を飲むわけにはいかない。それをやれば、この1年間の理事会の苦労は水の泡だ。賀来さんは理事を見渡して、
「さっきの動議そのものを区分所有者に判定してもらいましょう。恐らく過半数は取れないでしょう。もし過半数がこの動議に賛成したら、・・そのときは我々が降りることにしましょう」と静かに言った。我々は黙ってうなづいた。

他の理事はそのままトイレに行ったり煙草をふかしたりし始めたが、僕は特にやることがなくて、そのまま1人、舞台袖から壇上の席に戻った。すると、会場の奥のほう・・つまり出口に近いほうから、1人の出席者がトコトコと階段を降りながら会場に真ん中あたりまで移動してくるのが目に止まった。池谷さんだった。それをなんの気なしに眺めていると、彼は上着のポケットから1枚の白い紙を取り出して、それを通路に面した座席-さっきまで佐野氏が座っていた席だ(多分彼も煙草を吸いに廊下に出たのだろう)-の上にすっと置いた。そしてまた何事もなかったようにトコトコと通路の階段を上って、自分の席に戻っていった。場内はまだ休憩時間中だったので、会場で彼の行動に気がついた人は1人もいなかった。たまたま壇上にいた僕だけが偶然それを目撃したのだ。数分後、休憩時間が終り、出席者が次々に席に戻ってきた。佐野氏も戻ってきて、自分の席に置いてある白い紙をみつけ、手にとり、どっしりと腰をおろしておもむろにそれを眺め、(多分なにか書いてあるのだろう)じっと視線を紙に固定し、読み終ると紙をたたんで、自分のズボンのポケットにしまいこんだ。
それから議事が再開し、佐野氏が提出した動議を、出席者の挙手によって判定することとなった。動議の賛成者は2割程度で、動議はあっさりと退けられた。引き続き第1号議案が採決され、結果は各棟とも6割〜7割の賛成が得られたが、「全員一致」ではないので否決、続いて第2号議案の採決が行われた。こちらもまた各棟6割程度の支持が得られ、その結果A、D、E棟は「修復」を方針とすることが決定したが、残念ながらB・C棟は3/4に届かなかったので、全棟修復に決定するには至らなかった。が、全体としては、この総会でこのマンションは、「建替え」から「修復」に大きく方向転換をしたことになる。

総会が終了し、住民はぞろぞろと会場から消え、我々理事も壇上の机や椅子を片づけ始めた。
「ご苦労さん」と賀来さんが僕の肩を叩いた。
「まだ来週、定期総会があるけどね、三島さん。あんたところ、それまでに新理事を決めなあかん」
「ご迷惑をかけてます」
「いやいや、気にすることない。あの佐野のおっさんが、けしからんだけや」
「まったくね」
「しかし・・」と賀来がちょっと考えるような眼になった。
「なんですか?」
「いや、ちょっと気になることがあってね」
「ええ」
歩きながら話していると、いつのまにか勤労会館の外に出ていた。夕日を浴びて中庭の松林がオレンジに染まっている。
「佐野のおっさん、最初はえらい剣幕で議案を修正せい、言うて噛みついてきよったのに、休憩が入ったあとは、さっぱり発言せんようになりましたな」
「そういえばそうですね」
「なんでやろな」
田代さんとプーさんがバイバイをしながら目の前を通りすぎ、僕と理事長はこの話題に結論が出ないまま、挨拶をして別れた。
そうして勤労会館の門の手前までくると、灰色の古いアコードワゴンが目に止まり、中から「三島はん、あんた車か?自転車か?」と池谷さんのしゃがれた声が聞こえてきた。
「ああ、どうも。僕ね、行きしなはヨメさんに車で送ってもらったんやけど、帰りは・・」と言いかけると
「ほな乗っていきいな」とドアが開く。
「いつもすいません」と僕は理事会の資料を入れた茶封筒を小脇に抱えてワゴンに乗り込んだ。
「もうちょっとやったな」と池谷さんが車を発進させながら話しかける。細い路地をくぐり抜けると、広い国道2号線に出た。神戸の西空に夕陽が輝き、六甲山のシルエットが映える。
「もうちょっとって?」
「もうちょっとで建替え派を全滅できたがな。惜しかった。B・C棟だけ、残ってもうた。あんたらも無念やろ」
「いやあ理事会は中立ですから、なんともね。・・ところでね、池谷さん」
と、僕はさっき会場で休憩時間に池谷さんがとった不審な行動を訊ねた。
池谷さんは、「そうかあんた見てたんか」と苦笑しながらこう言った。
「わし、前からあのおっさん好かんねん。人の揚げ足ばっかりとりおって。今日もな、あの意見書にねちねちとケチつけよるさかい、もうカチンときてな、ほんで一発書いたったんや。“おまえ、順番回ってきた理事を引き受けもせんくせして、余計なこと言うな”これこのまま紙に書いて読ませたら、とたんにあいつ、大人しくなりおったわ。はっはっは・・・・」

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